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嘘と承認欲求
- 2012-01-06 (Fri) 18:45
- Thoughts
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嘘をつくということについて考える機会があった。また、少し前に承認欲求について考える機会があって、自分のことを他人に認めてもらうために嘘をつく人っているよなあと思ったりしていた。僕はまあ嘘をついてまで他人に認めてもらいたいとは思わないと思う。そもそも他人に認めてもらいたいと思わないとまでは言い切れないけれど、でもたとえば出来ないことを出来るように装ったりとか、知らないことを知っているかのように語ったりとか、そういうところは(少しは相手によって変わってくるかもしれないけど)昔からずっと変わらなくて、分からないことの分からなさについて考えるのが楽しかったりする(『どうして分からないんだろう?』)。
僕ももういい歳でいろんな人を見てきたけど、知らないことを知らないと言えない人というのは確実に存在しているし、そのようにして自分のことを他人に認めてもらおうとしているうちに、自分自身でも本当に知っているのか知らないのか分からなくなってくるんじゃないかと思うようになった。そういうのって良くあるし(知ったつもりになってる)、そのことに自分で気がつけないのなら他人に指摘してもらうしかないのだろうけど、中には他人のそのような指摘を受け入れることが出来ない人もいる。自分のことを非難されていると思い込んで攻撃的な態度に出たりする。
僕はわりと若い頃に自分と他人とをすっかり分け隔てて考えていたので、どうせ他人に僕のことなんて分かるわけがない、逆も同様だと思っていたから、誰かに認めてもらいたいとかそんなことは今よりももっと思いもしなかった。その名残があるのか、たまに他人から自分に対する賛辞を聞かされるとどう反応して良いか分からなくなる。
ということで、一生懸命何かに取り組んだ結果、他人に認められるというのは立派なことだと思うのだけど、嘘をついてまで(本当とは違う風に自分を装ってまで)他人に認められたいと思うのはちょっとどうかなと思う。あるいは、他人に認められなくならないように(簡単に言うと馬鹿にされないように)そうしているのかもしれない。まあ一時的に現実の自分から何歩か先に行かせてしまった自分にあとで必死に追いつこうとする努力とか取り組みがきちんと為されるのなら許容範囲だとは思うのだけど(でもそういう現場を目にするとこれまたどう反応して良いかわからなくなるのです)。
親子ふたりの探検隊
- 2011-06-20 (Mon) 18:54
- Child
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ゴールデンウィークは東京と富山を二往復しました。事情があって、連休の谷間に1日だけ息子を保育園に登園させる必要があったのです。
東京と富山の往復では息子はぐずることなく、ボクは本当に小さな友達が出来たような感覚で息子と接することが出来て楽しかったです。事前には富山空港でお母さんやおじいちゃんおばあちゃんたちと別れるときにぐずったらどうしようとか、飛行機の中でぐずったらどうしようとか、羽田空港から自宅に向かう電車かバスか何やらでぐずったらどうしようという不安ばかりを列挙していましたが、実際は息子はすっかり成長していて、ちょっとボクに抱っこをせがむくらいでした。本当に成長したと思う。
富山から東京に向かう飛行機でふと思い立って、この東京・富山の往復を親子ふたりでの探検という設定にすることにしました。ボクと息子からなる探検隊は飛行機に乗って東京の家に向かいました。ところが途中で雨が降ってきたので、最後は自宅前までタクシーに乗りました。それから夜ごはんに宅配ピザを取って、ピザが届くまでの間に雨が上がったので近所のコンビニに牛乳とパンを買いに行って、浴室に干したままの洗濯物を集めていたら息子が玄関のチャイムがなったことをボクに教えてくれました。ボクが気付かなかったそのチャイムはピザが届いた合図です。ふたりでピザとサラダとチキンとポテトを食べて、息子はデザートのぶどうゼリーを食べようとしたけどおなかがいっぱいみたいでほとんど食べられませんでした。久しぶりに遊ぶおもちゃに夢中で、去年の誕生日にプレゼントしたジグソーパズルで一緒に遊びました。
ふたりでお風呂に入って、歯磨きもして、一緒にベッドに入って絵本を読んであげたらすんなりと眠りました。きっと旅疲れなのでしょう。次の日の朝も7時半くらいに起きて、お互いのパンを分けたりしながら一緒に朝ごはんを食べ、久しぶりに保育園に行きました。まだ富山にいる間から保育園に行こうねということを息子に伝えると『お父さんも中に入る?』と必ず聞き返していました。ボクは送っていくときに入るというつもりで『一緒に入るよ』と答えていたのですが、やっぱり息子はボクがずっと保育園にいて一緒に遊べるかどうか聞いていたのだと思います。朝、保育園で息子はボクから離れようとしませんでした。仲の良い友達が息子のことをしっかり覚えてくれていて一緒に遊ぼうと誘いに来てくれたのですが、それにも答えようとしません。最終的には先生が無理矢理抱き上げて、泣き叫ぶ息子をあとにボクは保育園を出ました。
2ヶ月ぶりに保育園に行って不安な気持ちになるのは当然だと思います。それがまた1日だけの登園だというのが可哀想で、大人の都合で悲しい思いをさせているのだとしたら悪いことしてるなあと思っていたのですが、夕方に富山へ戻る荷物を持って保育園に迎えに行くと、おやつのいちごを食べていました。ボクに気付いても残っているいちごを全部食べてしまうだけの余裕が生まれていたので良かったのと、先生に話を聞いたらあの後はしばらく泣いていたけど屋上に出たり園庭に出たりして仲の良い友達と遊んでるうちに徐々に馴染んでいったみたいで、すっかり楽しそうにしていました。たまたま迎えの時間が同じだったので、ボクは息子の友達のお母さんと話をしながら、息子が友達と園庭を走り回っているのを見ていました。はやく毎日ここに通えるようになったらいいのになと思いながら。
息子を保育園に迎えに行ったその足で羽田空港に向かいました。時間的には余裕があったものの他にやることもないし、空港で一緒に飛行機を見ようと思ってたのです。羽田空港へはバスに乗って行きました。かつて、空港からのバスの中でものすごくぐずったことがあったのですが、今の息子ならもう大丈夫だと思っていて実際に何の問題もありませんでした。
羽田空港の展望台で一緒に飛行機を見ました。それから息子はぶどうジュースを、ボクはお茶を飲みながら搭乗口で待ちました。3歳以下の子供を連れていると優先搭乗させてくれるので少しだけ楽です。上空では遠くの雲の上に頭を出している富士山のシルエットが見えました。ふたりで『あれ富士山やねー』と眺めていました。富山空港にはおじいちゃんとおばあちゃんが迎えに来てくれていて、息子は走って飛びついていました。
息子とふたりの時間はとても楽しかったし、息子の成長を感じることが出来て嬉しかったです。
(連休後に書いたままにしてあったものを少し直して載せることにしました)
第二子誕生
2011年4月8日13時43分に第二子を授かりました。女の子です。
長男のときほど今回は妊娠中の妻をサポートすることが出来ませんでした。おまけに去年の秋にボクは椎間板ヘルニアを患ってしまうし。それでも何とか妻は頑張ってくれました。
里帰り出産することと、長男の時にそうだったこともあって帝王切開をすることは決まっていました。予定日が4月の下旬で3月中旬に富山の実家に帰る予定でいたのですが、2月末の定期検診で状態があまり良くないので今のうちに実家に戻っておいた方が良いと産婦人科で言われたので、予定を10日繰り上げて3月2日に妻と息子が富山に帰りました。3月12日に予約していた飛行機のチケットをキャンセルしたわけですが、3月11日にあの地震があったわけですから、3月2日に帰っておいて良かったとあとになって妻とも話しました。もしかして赤ちゃんが妻と息子を安全なところへ連れて行ってくれたんじゃないか、と。
帝王切開の手術日が4月8日に決まり、ボクは前日の7日から週末を挟んで11日まで富山にいました。一人目のときとは違って全てが予定通りに進んでいき、母子共に何の問題もなく手術は無事に終わりました。息子と一緒に手術室から赤ちゃんが出てくるのを待っていたのですが、赤ちゃんが出てきたときには息子はボクの腕の中で眠ってしまっていました。
それから妻が出てくるまでの時間がすごく長く感じられました。妻が出てくるまで安心出来なかったからです。手術室からベッドに載った妻が運ばれてきて、一緒に産まれたばかりの赤ちゃんを見たときにようやく安心して色々と喜ぶことが出来ました。
一人目の子供が産まれたときに感じたことと、二人目の子供が産まれたときに感じたこととでは、同じようなこともあるし異なることもあります。産まれた娘が元気に育って欲しいという気持ちは何も変わらないのだけど、一人目のときになかったのは、妹が出来たということを息子はどのように感じているのだろうというようなことで、息子のこともやはり気になるところです。ボクは弟が一人いるだけだし、妻は妹が一人いるだけで、ボクたち両親はどちらも異性の兄弟を持っていません。息子にはボクたちが経験できなかったことを経験して欲しいと思っています。
産まれたばかりの娘に対して思うことはとにかく元気に成長して欲しいということしかありません。一人目のときにはいろいろと考えたものだけど、子育てに対する不安だとか、子供に対する希望だとか、そういうものはどちらかといえば奥の方にしまっておいて、日々の成長をしっかり見守ることや大切な瞬間を忘れないようにすること、そういうことの方が日常においては大事なのだと考えています。それは子育てを経験したからでしょう。子育てを通じて得ることの出来るものは、ひとりで頭の中だけで考えていたこととはまったく違うものです。ただ、ひとりで考えたことはそれとしてどこかにしまっておきたいとも思う。
産まれたばかりの赤ちゃんはとても軽くて本当に羽みたいに軽かったです。一人目のときには赤ちゃんをはじめて抱くのにぎこちなかったものでしたが、今回はまったく問題なくてボクも慣れたものですね。腰の調子と相談しながら息子も抱っこしましたが、こちらはしっかりと重たかったです。1ヶ月ぶりに会った息子は成長していました。きっといろいろ我慢していることもあるんだろうなあと思いながら、そう出来る息子を誇りに思いつつ、息子の健気さが愛おしくて抱きしめて褒めてあげたくて仕方がありません。
そして娘には元気に産まれてきてくれてありがとう、妻には可愛くて元気な子供をふたりも産んでくれてありがとう、そして息子にはお兄ちゃんになってくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。
東北地方太平洋沖地震
- 2011-03-21 (Mon) 16:14
- Earthquake
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平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について自分が体験したことを書き留めておこうと思います。
3月11日14時46分ごろに何をしていたかというと、会社の自席で仕事をしていました。たしか少し前に近くの蕎麦屋でにしん蕎麦を食べたと記憶しています。4階建てのビルの4階にオフィスは位置するのですが、揺れは収まるどころか増していくように感じられたのでとりあえず屋上に出ました。屋上に出るという判断が正しいものなのかどうかはいまだにわかりません。大きな横揺れが長時間続きました。揺れそのものに建物を破壊するのではないかという強さは感じなかったけど、それがなかなか終わらないことで少しずつ建物が崩されてしまうのではないかということは頭によぎりました。
妻は子供を連れて富山の実家に帰っていたので、まずは富山の安全を確認しようと妻の携帯にかけても電話がつながらなかったので、事務所に戻って会社の電話から実家の固定電話にかけて安全が確認出来ました。それでほぼ落ち着くことが出来たので、揺れが収まった頃合いを見計らって階段を使って表に出ることにしました。屋上に出たときに通りに人がたくさん出てきているのを見ていたからです。
その後も、揺れが収まったと思って事務所に戻るたびに余震が来てまた表に出るということを何度か繰り返したと記憶しています。外出していたり他社に常駐している社員や、親しい取引先の人などの安全を一通り確認した他は、あとはもう ustream でひたすら NHK の放送を見ていました。仕事はほとんど手に着かなかったです。お台場の方で火災が発生している、千葉の石油コンビナートで火災が発生している、津波が地表を黒く染め田畑や家屋を飲み込んでゆく様子をただ目にしているだけでした。
それから、首都圏の鉄道が全面的に止まっているという問題が浮上してきました。JR東日本が早々に当日中の復旧はないと発表したことで帰られないことが確定した人が何人かいました。ボクは東急が動いてくれれば帰られたのですが、帰られなかったら帰られなかったで別にかまわないやと思っていたので、会社の近くで軽く飲んでいました*1。
結局、深夜を過ぎてから会社を出て渋谷まで歩いて東急東横線に乗って帰宅することが出来ました。家に着いたのはたしか夜中の3時頃だったと記憶しています。
以上が地震当日から帰宅するまでの様子です。会社は千駄ヶ谷にあって、被害と言うほどの被害はありませんでした。地震の直後から原発が危ないと思い続けてきたのが現実のものとなり、電力が不足していて週明けの月曜日は自宅待機になったりもしました。
ボクは阪神大震災も大阪で経験していて、今度の地震も東京で経験しました。どちらも被害の中心から離れたところで経験して感じていることは、今回は中心にはいなかったけど、今度いつ自分の足下が揺れるのかは誰にも分からないということです。誰があんなに大きな津波が押し寄せてくることをわかっていたでしょう。
地震が発生してから今日で10日が経ちました。死者の数は日に日に増える一方です。復興にはかなりの時間がかかることだろうと思います。今自分に出来ること、そしてこの先、継続的に出来ることは何だろうと考えながら日々を送っています。
- *1: 明治通り沿いの店で飲んでいたのですが、新宿方面から渋谷方面へ向かう人の数がすごかったです。
『ノルウェイの森』を見ました
正月に妻の実家に帰省している間にノルウェイの森を見てきました。
原作をはじめて読んだのはもう15年以上前のことで、それ以来何度か読み返してもいます。若かった頃はとても思い入れのある小説でした。映画が公開されるということで久しぶりに読み返してみたのですが、昔読んだときとは印象がけっこう違っていて驚きもしました。若かった頃はこの小説は直子の物語だったのが、35になった今読んでみると直子と緑の間で心揺れ身動きが取れなくなっているひとりの若い男性の物語だということに気がついたのです。あの頃はいったい何を読んでいたのだろうかと思いました。
映画の方も15年前に見ていたらまた違った感想を抱いていたかもしれません。原作と比べて感じた違和感ベスト5をまとめてみようと思います。ネタバレや思い違いや個人的見解を多分に含んでいると思うので情報の正確さには欠けるかも知れないことをご了承ください。
#5 電車のシーンがない
東京でワタナベが直子と再会するのはたしか電車の中でだったと思います。偶然に再会したふたりは近くの駅で降りて例の長い散歩をしたんじゃなかったっけ。また、緑の家に行くときも電車(路面電車?)に乗ってたし、レイコさんが東京に来たときも駅まで迎えに行ってた。最後のシーンだって東京駅までレイコさんを送っていった後の電話ボックスだったと思うので、電車や駅にまつわるシーンが映画ではばっさりと切り捨てられていました。
原作では電車に乗ったり駅に行ったりしてたんだけど、と見終わった後で妻と話していると、ロケーションの問題なんじゃないかという話になったのですが*1実際はどうだったんでしょうか。
#4 突撃隊の蛍のくだりがない
ノルウェイの森という小説は、それ以前に書かれた『蛍』という短編小説をベースに、あるいはそれが組み込まれる形になっています。寮で同室だった突撃隊(というニックネームの男)にもらった蛍を寮の屋上で逃がしてやるという印象的なシーンが映画にはありませんでした。映像にするととても綺麗な場面だと思うのですが。
#3 レイコさんとすき焼きを食べない
食事をするシーンは京都よりも東京側にたくさんあります。生きることの象徴として食事をとらえることはこの小説においてはあまりにも簡単に出来てしまうのですが、だからこそ緑の家で彼女が料理を作って一緒に食べるシーンがあるのにどうして東京に出てきたレイコさんに縁側でがっつりすき焼きではなくマンションでラーメンなんか食べさせるのか理解出来ません。直子のお葬式をふたりでやるという意味でも、豪勢にすき焼きを食べ、ワインを飲みながらギターで弾ける限りの曲を弾き、そして最後にレイコさんが再びこちら側の世界に戻っていく橋渡し役をしないといけなかったのに。映画ではいろんなことが台無しになっていました。
それから映画のレイコさんはちょっと綺麗過ぎやしないかと思います*2。
#2 緑が怒ったことの原因
原作では緑が髪型を変えたことにまったく気がつかずにいたことで緑は怒ります。でも映画ではバーみたいなところでポルノ映画の話をする緑に対して『場所をわきまえてくれ』とワタナベなら到底言いそうもない台詞を口にさせて緑を怒らせます。次にあげる違和感を除けば、この台詞には本当に度肝を抜かれるくらいに違和感を感じました。ワタナベなら絶対に口にしない種類の言葉だと思います。
#1 直子のキャスティング
これはもうどうしようもない。
以上が映画『ノルウェイの森』に感じた違和感ベスト5です。もう一度見たらさらに何か見つかるかもしれません。
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