- 2003-10-09 (Thu) 21:09
『フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像』を読み終えました。映画では描かれていなかった彼女の人生の細部を少し知ることができた。彼女にとっての絵を描くこと、そのようなことがボクにはあるだろうかと問わないではいられなかった。ボクはただ会社勤めをして、文句を言いながらも結局そこから抜け出さずにいて、辞めたい辞めたいと思いながらも辞めることができず、あまりにも慎重にしすぎて新しいステップに踏み出すことができず、ただ何か先進的な文化を享受することでその埋め合わせをしているような、そのような極めて受動的な人生を送っている。自らはほとんど何もしていないに等しい。
この本を読んで、ますますボクは動かなければならないと思うようになった。フリーダ・カーロが生きた時代のメキシコと現代の日本では事情が異なるとは思う。だからといって、ボクがこのままでいいという理由にはならない。どうすればいいんだろうか。
たった一冊の本を読んだだけでフリーダ・カーロの人生を理解したふりはしたくない。誰の人生も『あれはこういうことなのだ』なんて言えない。それでも、彼女の生きた人生は彼女にとって辛いものであったと思う。特に、映画でほとんど言及されなかった晩年については今回はじめて知ったのだけど、苦しみの中で過去の楽しかった日々を思い出すことの喜びと辛さを思うと、身に迫るものがある。喜びと辛さは裏表なのだと思う。
フリーダ・カーロという人の絵と、彼女の生きた人生を垣間見るきっかけを作ってくれたゆみには感謝をしたい。彼女がいなければ『フリーダ』という映画を見に行くこともなかっただろうし、『フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像』を読むこともなかっただろう。いつの日か映画を見て本を読んだかもしれないけど、今の時点で起こったようなことは起こらなかっただろう。ボクの知らないことをたくさん教えてくれる彼女を自慢に思うとともに、ボクと趣味の領域が異なることに嫉妬もする。でも、ふたりの趣味の領域が異なるからこそ、それぞれ自身が広い範囲を見ることができるのだとも思う。
さて、次は何を読もうか。当面、明日カバンに入れていく本を物色せねば。
- Newer: 手持ちの本
- Older: 次はノーベル文学賞?
