- 2003-10-15 (Wed) 02:12
谷崎潤一郎の『痴人の愛』を読み終えました。読みはじめたらなかなか止まらなくて、すらすらと読み終えた感があります。
この有名な小説家の作品を読むのは恥ずかしながらはじめてのことで、その作風も文体もまったく知らないで読みはじめたのでしたが、とても興味深く読んだと思います。
この小説では、語り手である河合譲治を通して“マゾヒズム”というものが描かれていると思います。“美と醜”という図式が小説内で“都会と田舎”“ナオミと譲治”“日本(人)と西洋(人)”という形で繰り返し出てくる。田舎から出てきた日本人の譲治は、下町生まれではあるがどことなく西洋人を思わせる顔立ちをしたナオミを美しい女に育てようとする。つまり譲治は彼の価値観であるところの“美”を創造しようとする。しかし、譲治が抱く“美”とは屈折したものである。日本人が一貫して西洋に対して抱き続ける劣等感がここにも見られる。
ナオミが欲望を満たすために犠牲を払わないのに対し、譲治はナオミに一切干渉しないという条件の下でしか欲望を満たせない。しかし譲治はその条件を受け入れる。なぜなら、彼には(屈折しているが)“美”への憧れがある。“美”のない生活、言い換えればナオミのいない生活では彼の欲望は満たされない。いかなる犠牲を払おうとも、欲望が満たされる瞬間(“美”に触れる瞬間)がなければ彼は生きていけないのではないか。
彼はマゾヒストであると思う。
恐ろしいと思うのは、おそらくボクにも彼のような要素がいくらかあるからだろう。
