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バッド・エデュケーション バッド・エデュケーション

 バッド・エデュケーションを見てきました。
 この映画はある点でボクの興味をすごく惹いたのですが、それは何かと言うと『フィクションの構造』という問題です。
 映画『バッド・エデュケーション』の現実をフィクション1、そこに生きる人物たちが作る映画『訪れ』の世界をフィクション2、映画『訪れ』の中で物語られる話をフィクション3、と分類することができるでしょう。
 映画『バッド・エデュケーション』は、これらフィクションの各層と時間を自由自在に動きながら(しかしもちろん計算し尽くされた結果)物語られていきます。映画『バッド・エデュケーション』の現実においてフィクション2と3は創作上の物語(フィクション)であるのだけど、(フィクション1における)子供時代のイグナシオとエンリケに起こった出来事について、我々(『バッド・エデュケーション』を見る者)はフィクション3をもとにしてしか考えることができないし、映画『訪れ』(フィクション2)で最後に殺されるサハラと映画『バッド・エデュケーション』(フィクション1)においてすでに殺されているイグナシオの相関性を思わないわけにはいかない。
 この映画はR-15だそうですが、おそらくそうなった理由であろう性的な描写よりもフィクショナルな部分に強い興味を抱きました。
 非常に興味深い構造を持った映画です。

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