プロの仕事?

 仕事でこんなことがありました。
 午前中にFAXで以前に提出したウェブページのデザインの修正依頼があったのですが、なかなかワイルドな筆跡で判読不能だったのでメールを送ったものの音沙汰がなかったので昼過ぎに担当者に電話をしたら『夕方まで外出している』ということだったので、ひとりで『なんじゃそりゃ(送りっぱなしかよ)』と思いながら、判読可能な部分の修正をしてメールを送っておいたのでした。
 担当者から夕方に連絡があり、メールを確認したとのこと。電話では説明しにくいので、またFAXを送りますと言って電話を切ってから1時間経ってもまた何の音沙汰もなかったのでこちらから電話すると『会議に入っちゃったんです』と言います。いちおう会議中でも電話には出ていただいたのですが、件のFAXがいついただけるのかはっきりしないし無駄な時間は極力過ごしたくないので(定時も過ぎていたし)、おそらくその担当者はその日のうちに欲しかったであろう修正作業を次の日の午前中にまわしてもらいました。

 で、ボクはさっさと会社をあとにしたのですが、これってやっぱり正しい判断ですよね。だいたいいつもこんな感じで仕事をしています(もちろん締め切りには必ず間に合わせています)。
 前の職場では残業が当たり前で、ひとりあたりの仕事量も今よりは多かったし、また労働時間が長ければ長いほど評価も上がるという旧時代的な環境だったこともあって無言の残業プレッシャーみたいなものが社内に蔓延していたのですが、今の職場では自分の仕事が終わればさっさと帰るようにしています。
 思うのですが、残業とか徹夜とかは極力避けるべきものであって、それをしたからといってけして褒められるべきものではないはずです。もちろん必要に迫られてそうすることもあるでしょう(ボクも何度かありました)。でもだから何だと思うのです。自分の仕事をしただけじゃないか。少なくともボクがいるようなクリエイター業界では労働時間の長さよりも出来上がったものによってのみ評価されるべきだと思います。アンディー・ウォーホルがシルクスクリーンを使って大量複写を行うのにかかった時間と、ドストエフスキーがカラマーゾフの兄弟を書き上げるのにかかった時間を比較しても意味がないのです。評価はすべて出来上がったものにのみされるべきであって、何時間残業した・何日徹夜したというのは(当事者がそれを喧伝したくなる気持ちもわからなくはないけど)何ら評価の対象にはならないはずです。
 よく新人が残業とか徹夜とかで揉まれて育つとかいうけど、ボクはそういうことにも甚だ疑問を感じています。そこには何か体育会系の臭いがする。苦労すれば必ずそこから得るものがあると人は言います。ボクもたしかにそういうことはあると思います。ただ、苦労しなければ何も得られないのか、というとけしてそうではないと思うのです。
 ボクはそのような“量的評価”な場からは常々遠く離れていたいと思っている者です。だから今の会社で残業させられている新人たちを見ているとかわいそうでなりません。とくに効率の悪い先輩の下で仕事をしているのを見ていると関係ないのにほとんど怒りすら込み上げてきます。仕事だけに情熱を燃やしている人ならそれでもいいけど、こっちはそんなんじゃないのだからさっさと帰って別のことするんですよ、ということがわかっていない人がいたりするのは困りものですね。

comments powered by Disqus