以前にどこかで書いたのだけど、周りの人の行動や考えにいちいち気にさせられず心にさざなみひとつ立たない冷静さが欲しい。鋭い方なら『こういうことを書くこと自体が何かを気にして心にさざなみが立っている証拠だ』と指摘されるのでしょうけど(特にそういうわけでもないことはないのですが)。
ボクは昔から意識的に他人と自分とを区別してきたところがあります。と同時に、どうしても他人と自分とを比較してしまう過程を踏んでしまう。結局は他人と自分の間には最終的には共有し得ない領域が横たわっているという結論に落ち着いてほっと一安心するのだけど(心地良い不可侵条約とでも言おうか)。
ボクはボクでXはXだというのは至極単純で残酷で心地良い。ただ心地良い関係を求めるだけなら、お互いの間に不可侵な中立地帯を設ければそれで良くて、そこを侵してまで分かり合おうとか結びつこうとかしないのであればそれはそれで衝突もないから楽ではあるし心地良い部分もあるだろう。だけど誰かと最終的には分かり合えないという現実は残酷以外の何物でもないとボクは思う。
というようなことを書きながら考えてみたけど(考えながら書いてみたけど)、これはホントか? そうじゃない気もする。誰かと分かり合えないということは、言い換えればその人の中にボクの知らない何かを見つけるということでそれはそれですばらしい体験なんじゃないだろうか。
ううむ。分からなくなってきた。分からなくなってきたけど、分かっていないのに分かっているような気になっていることほど間抜けなことはないよなあということは分かっている。でも自分がホントは何を分かっていて分かっていないのかということはどうやって判断すればいいんだろう。素直に正直になるしかないのかな。