- 2006-03-11 (Sat) 03:56
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- Childhood, Memory, Osaka
子供の頃、親に連れられておばさんの家に遊びに行くのが(どのくらいの頻度だったのかは覚えていないけど)定期的に訪れる楽しみの行事のひとつだった。母親の姉であるおばさん家族はそのころ堺市に住んでいて、もちろん当時まだ小学生でもなかったボクはおばさんが堺市に住んでいることを知る由もなかったのだけど(堺市の存在だって知らなかっただろう)、当時住んでいたところからだと近鉄で難波まで出てそこから南海に乗ったのだと思う。難波に行くことなんてほとんどなかったから、近鉄の難波駅の改札を出てすぐの長い階段や当時まだ虹の街と呼ばれていた地下街の噴水なんかはイメージとして覚えている。親に連れられず自力で難波に遊びに行くようになってみればすべて日常に溶け込んでしまったのだけど、子供にとってはあの階段はものすごく高くて天国に続いているかのようだった。文字通り、虹の街に続いていたのだ。なんてね。
なんばウォークなんて安易な名称より虹の街の方がずっと叙情的でいいなあと思うのだけど、子供の頃の記憶もおそらく『虹の街』という名前に引きずられている部分が多いのだろう、と思う。地下街なのになぜ虹の街なんだろうとか、噴水から跳ね上がる水をライトアップした様はまさに虹そのものだとか、いろいろと空想する余地があるじゃないですか。
そのような子供の頃の記憶がふとした瞬間によみがえることがあります。これはもうなぜかわかりません。辿れば理由がわかりそうなときもあるし、まったく見当が付かないときもある。記憶というものはホントに摩訶不思議ですね。
自分が物覚え悪いのかなと思うことが多々あります。知り合いから『こういうことあったよね』と言われても思い出せなかったり。んー、出来事の重要さによるような気もするなあ。でも、それでもけっこう忘れます。身近なところでは、今月頭に東京に出張に行ったのですが、そのときに荷物を入れていたキャリーバッグに南京錠が付いてたので、ホテルに起きっぱなしにして出かけるときには鍵をかけていたのです。その鍵をなくしてはとんでもないことなると思って、自宅の鍵などを付けているキーホルダーにキャリーバッグの南京錠の鍵を付けたのですが、大阪に戻ってきてそれを外したのが今日でした。何度となく帰り際とかにポケットから鍵を出す段になって『ああ、これはもう要らないから外さなくちゃ』と思うのですが家に入った瞬間に忘れてしまうんでしょうか。そしてまた次の日に同じタイミングで同じことを思い同じように忘れてしまうのです。今はもうない地下街の名前なんかは良く覚えているのにね。
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