ボクはこういう人間でしょうか

 ときどき人のブログを読んでいると『自分はこういう人間だ』という文章に出会うことがある。
 ボクはあまりそういうのが好きではない。そういうことを書くことにいったい何の意味があるんだろうと思うからではなく、またその内容を読んでその人の人間性とでも呼べるものに嫌悪感を感じるからでもなく、そうして書かれたものがどうしてもその人そのものを表現しきれていないはずなのに恰も自分についてすべてを理解し尽くしていて書ききっているのだとでも言おうその傲慢さにうんざりするからなのです。それはやっぱり嘘を書いているとボクは思うし、それが嘘だと分かっていて書いているのならかまわないと思うのだけど嘘を書いていることに気がつかずにすべてを了承しきっているという態度は、端から見ていて……なんというか、恥ずかしい。
 何かを断言することは難しいことだと思う反面、断言しないことがその困難に背を向けることになってはいやしないだろうかとも自問する。ボクの中ではすべての価値観が綺麗に整理整頓されていてボク自身がそれらを俯瞰していることはない、とボクが言うとき、ボクは(他の人と同じように?)矛盾する様々な価値観や感情を持っていてそれらを制御するのに苦労している人間だと暗に断言しているのではないかと思ったりもする。でも割り算の余りを指さして『これがボクだよ』と相手に自分のことを伝えるなんてこともしたくない。結局は、人に真剣に自分のことを伝えようとするなら時間をかけるしかないのだと思う。一瞬にして『自分はこういう人間だ』と伝えようとはせず、長い時間に起こる様々な出来事やその時々の状況やなんやかやに対して『自分はどう思うか』ということをその場その場で伝えていくしかない。出来るだけ自分の思っていることに近い言葉を選んで。
 『自分はこういう人間だ』というような文章を読んでボクが感じているのは、簡単に断言しているんじゃないかということなのでしょう。一度自分の考えを疑ってみたり、それこそ一度書いた物を読んでみたりしていないんじゃないか、と。でもそれはボクの勝手な思いこみで、書いた人にしてみれば真剣に自分と向き合っているのかもしれない。それに、仮に簡単に自分の可能性を定義してしまっているのだとしても、ボクが口出しするようなことでもない。それに、時間が経てば自分について前とは異なったことを書くかも知れない。前と今とで言うことが違っていることには稚拙さを感じなくもないけど、それは言うか言わないかということに対してそう感じるだけで、変わること自体には何も思わない。時が経てば感じ方も変わるし、感じる人も感じられる対象の物事も変わる。
 自分を信じることと自分を疑うことを同時に持っていなくてはならないと思う。自分にとってホントに自分は信じられる存在なのかと疑うことには意味があるし、結局はすべて自分が決めることだというのも本当でもあり嘘でもある。
 とまあ、ボクはこのようなことを考えたりするようなタイプの人間です。でも、ホントに?

comments powered by Disqus