悩みがないわけじゃない

 最近、人から相談を受けることがなぜか多くて話を聞きながら自分なりに感じたこと思うことを丁寧に伝えているつもりなんだけど、それはそうと自分はどうだろう、悩んでいることはあるだろうかとふと思い立った。そしたら不思議なことに真剣に悩んでいることはなかった。
 これまで不必要と思えるくらいに様々なことで悩んできたような気もするし、悲観的だったような気もするし、それに悩みのないヤツなんて頭の中がお花畑どころか苔まで生えてるんじゃないかと思っていたくらいだから、自分がそうなってみるというのも面白いものだ。
 しかし実際にはまったく悩みがないというわけではなくて、自分じゃないことで悩んだり(でもボクが悩んでどうこうなるってものでもないから悩んでも仕方ないやと思って悩まないようにしているのか、それともどう悩めばいいのかがわからないのかわからない)、仕事でもいろいろと悩まされることは多々あるのだけどそれが意識のすべてを占めてしまうというような局面にまでは幸いながら(残念ながら?)至らない。いろいろな物事を割り切って考えられるようになったのかなあと思ったりして、同僚の相談に親身になって答えている自分の言葉を聞いていると『ホンマかいな』と突っ込みたくなってくる。年取ったってことなのかな。
 しかしまあ、シリアスさとジョークは表裏一体で、シリアスさだけだと行き詰まってくるしジョークばっかりだとどこにもたどり着けない。シリアスな話の途中の笑いの意味を知ること。悩んでない人なんていないという一般論も正しいし、でもそれぞれがそれぞれの悩みしか悩めないのだからみんなが悩んでいようがいまいが個別の悩みには関係ないというのも正しいと思う。自分を特別な人間だと思いこんで自分の悩みの中に閉じこもってしまうのは自意識過剰だと思うし、でもそれぞれがそれぞれの人間として独自の存在なのだから自分の悩みの中にしか本当には没頭できないというのも正しいと思う。
 正しさなんてひとつしかないわけじゃないからいろんなことを相反することも含めて思えばよいと思うけど、ひとつのことを正しいと信じてそのなかに埋没してしまうのは正しくないのだろうと思う。唯一言えるのはそのことくらいかなあという気がしないではない。

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