東京に引っ越してきてまず驚いたのは間違いなくゴミの分別の種類の多さでしょう。大阪に住んでいたときは2種類にしか分別していませんでした。つまり、燃えるものと燃えないものとです。瓶も缶も一緒くたでした。近所に大型スーパーマーケットがあったので、そこの店頭で回収していたペットボトルとトレイ(肉なんかを買ったら載っているアレです)は自主的に分別していましたが、こちらにやってきてやはり行政がきちんと分別をルール化していることは良いことだと思いました。たしかに日常的には手間が増えるわけですが、最初に捨てるゴミ袋を分けておけばあとは実際に捨てるときにそれぞれのゴミ袋に入れていけば良いだけなのでたいした手間ではありません。
引っ越してきてすぐに無印良品でゴミ箱をふたつ購入しました。ひとつは仕切りのないタイプ、もうひとつはゴミ袋をふたつセットできるタイプです。それぞれサイズは同じなので、嵩張る種類のゴミを1種類、その半分のペースで増えていく(と想定される)ゴミを2種類分別できます。今のところ大きく分けると可燃ゴミ・不燃ゴミ・瓶・缶・ペットボトル・紙パックの6種類にボクは分別しています。まだ調理器具が揃っていなくて料理はしていないのでトレーはないし、段ボールは大きな買い物をしたときか何か送ってもらったときくらいにしか出ません。それでも6種類のゴミが排出されるのでゴミ箱に入れることが出来る3種類では足りないわけです。瓶・缶・ペットボトル・紙パックは毎日たまっていくわけではないので小さな袋でこまめに出すことで問題なく処理できています。
それで明日は可燃ゴミの日なのですが朝一に出すことが出来ないので(起きるのが遅い)前の日の深夜に出すようにしています。多分に洩れずさっきもゴミを出してきたのですが、ゴミを出して部屋に戻るときに5階の部屋の玄関の前から外を眺めてみると商店街に沿ってぼんやりとした灯りが連なっていました。うちの近所のその商店街にボクはあまり足を運ぶ機会がなくてそれは残念なことなのですが、最近は夜に少し遠回りになるものの駅からその商店街を通って帰っています。遅い時間なので開いている店はほとんどないのですが街灯が黄色がかった光でその通りを宵闇に浮かび上がらせています。その光は情緒深く、ボクにいくつかの場所を想起させます。まだ小さな頃に母方の祖父母の家の近くにあった商店街や、村上春樹のノルウェイの森という小説に出てくる小林緑という女の子の家がある商店街や、吉本ばななの初期の中編小説に出てくる突然夕立が降り出す商店街などがそれです。実際に行ったことがあるのはそのうちのひとつなのだけど、実際に行ったことがある場所ですらすっかり記憶の彼方に遠ざかっているわけなので、それよりかはずうっと後に読んだ小説に出てくる場所にだって同じ程度の現実味を感じることができているのかもしれません。
ともかくボクが住んでいるのはおそらく下町と呼ばれる場所で、ボクがこの場所に住もうと決めた理由は部屋のつくりが良かったのとこの土地の地名が気に入ったからでした(もうひとつは夏の暑い日にさらに別の部屋を真剣に検討する気力を失っていたからです)。何かの縁で住むことになったこの土地の商店街にボクはなぜか懐かしさや親密さを感じています。