少し前にも書いたけど最近は風邪をひいてすっかりまいっているので仕事が終わったらさっさと家に帰ってきておとなしくしています。おとなしくして何をしているかというと、まあ音楽を聴いたり本を読んだりしているのですが、ふと思い立って昔書いた大学の卒業論文なんぞを読み返したりしています。
大学ではアメリカ文学を専攻していましたが英語が苦手だったのでたいへん苦労しました。外国語大学で英語を専攻しているわけだから、もちろん卒論も英語で書かないといけなかったのです。当時のことを思い出すと、まず日本語で一通り書いてからそれをひたすら訳していたような。
大学に入って良かったことは(アメリカ文学を専攻して良かったことは)それまで翻訳で読んでいて好きだった作家の小説が教材で、読むなら好きな作家の方が良いんじゃないかなとそのころは思っていたのでした(今ならそうは思わないかも)。大学を卒業して良かったことはもう大学の授業とか“いつまでに”という期限なんかに関係なく好きな小説を好きなときに好きなだけ読むことが出来ると思ったのでした。まあ半分くらいは実現しているかもしれません。それとは別にいつかあの卒業論文を書き直したいとどういうわけかいつかの時点から思い始めていたのです。
高校のときの友人が、彼女は大学には進学せず高校を出てすぐに職業に就いたと記憶していますが、最近になって大学に入るために勉強しているという話を聞きました。詳しくは聞いていないけど社会人枠とかそういうのでしょうか。時期を同じくしてとあるブログでも同じようなチャレンジを考えている文章に出くわしたりして、今はまだ具体的には考えていないけど場所と時間を限定して何かを勉強することへの興味が少し頭を擡げてきたような気がしなくもない。
ともかく、ネットで何となく大学のときのゼミの先生の名前でググってみたりした。そういえば我が母校である某外国語大学は近くにある某国立大学に吸収合併されたのだった。大学ではほとんどの授業は楽しくなかったけどゼミは楽しかった記憶があります。たぶんボクは生意気なことばかり言ってたような気がする。でもある小説についてそれぞれの読み方を披露し合うのは楽しかった(中には退屈なことを言う人もいて、そういう人には生意気なことを言ってたような気がする)。
原則、浴槽に浸かったときにしか読まないといつの間にか決まっていたこの雑誌に載っていたポール・オースターの『ガラスの街』(既訳は『シティ・オヴ・グラス』)ですが、今日になってようやく読み終えました。ところどころ駆け足だったり、物語の枠組みに関する仕掛けに貪欲だったりしてなかなか楽しい小説です。そして何よりもこの小説の良いところは、物語を読み込めば読み込むほどそれとは別のことがどんどん気になりだして興味はほとんどそっちにいってしまっているというようなところでしょうか。
オースターの小説はこのような初期の物語の枠組みに対してわりと直接的に言及するような作風から、物語そのものが物語の枠組みへの言及についての比喩であるかのような作風に向かっていきます。物語はより複雑さを増し洗練されていくわけですが、ボクはそのどちらも好きですね。
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