ボクがブログを書く理由

 記録によると、ボクは2002年の6月から MovableType でブログをはじめています。当時はウェブログと呼んでましたっけ。時系列にその時々に思ったことを整理して書くことが出来て、それらひとまとまりずつに対して他者が(ときには自己という他者が)感想を述べることが出来る場を欲していたボクにとっては MovableType はうってつけでした。ボクがブログに向かう姿勢はほぼ変わることなく今まで続いてきていると自分では思っています。もちろん文体やその時々で挑むテーマは変わってはいるでしょうけども。
 しかしまあ、2002年6月といえばまだ26歳だったのかと思うと、こんなに長く何かひとつのことを続けたことがあるだろうかと思ってしまいます。たぶん自分で最初から最後まで読み返してみても書いていることの変遷は大きいと思うのですが、同時にそれはボクの人生におけるこの6年弱のもっとも詳細な記録であるでしょう。当然ボク自身の記憶よりも詳細であるわけです。
 ボクはこれらの文章を書いてきて良かったなあと思っています。今ではこれらはほとんど財産だし、この先もずっと続けていくことに何ら疑問を抱きません。2002年の6月にボクは何を考えていたのか、ということを知るには自分が書いた文章を読むしかないのです。人間の記憶は曖昧なもので、一度書き留めたらそのままの形で残り続ける言葉とは対称的に、記憶というものは常にその所有者による改変に晒されていると思うからです。過去に書き記した文章はそれを読む者による解釈に晒されているとは思います。それを読み返すたびに異なる感慨を抱くかもしれません。しかし自らによる記憶の改変についてはなかなか気付きにくいのではないでしょうか。ボクはこのようなことの多くをミラン・クンデラの小説から学びました。そして時を同じくして実際に経験することにもなったのです。過去に自ら取ったと信じて疑わなかった行動が、のちに複数人によって否定されたことによって。記憶というものが如何に曖昧で、如何に利己的に改変されてしまうのかということを自ら証明する立場になったのです。ボクがブログを書く理由はほとんどそこにあります。自分の過去に対して客観的な立場を確保しようとする試み、とでも呼びましょうか。
 そしてまた、世界中の人々がこのようなスタンスでブログを書き続ければ、世界中の人々が歴史の証言者として書き続ければ、歴史という言葉の定義を変えることが出来るのではないかと思っています。その日に何を目にして何を感じたか、世界で起こっていることに対しどのような考えを持ったか、どんな本を読んでどんな感想を抱いたか、そんなことを書き残すべきではないでしょうか。世界に大きな出来事があったらみんながそれぞれ思ったことを書くべきです。それらの総体こそが歴史と呼ばれるべきでしょう。一方的な歴史解釈を押しつけられるなんてフェアじゃないじゃないですか。

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