第一子誕生

 2008年7月1日17時37分に第一子を授かりました。いろいろと問題があって帝王切開するかどうかの選択を迫られ悩んだのですが、子供の状態を優先して帝王切開を選択しました。すなわち母体にリスクのかかる選択肢を選んだわけで、本当に妻には感謝するばかりです。妊娠期間中そして出産に際して妻が背負った苦痛や投げ出してくれた犠牲に比べてボクはいったい何をすることを出来ただろうと思うばかりです。あまりにもベタかも知れないけど、出産に際し父親に出来ることは非常に少ないと感じさせられました。出来る限り妻の支えになろうとしても、そしてそうなれたとしても、それはあくまで支えであって本柱であるところの母親には比されないのです。

 昨日の月曜日の朝に違和感を感じた妻と病院に行くと破水しているので入院することになりました。ただ陣痛の気配はなく、妻のお母さんが仕事を休んで富山から大阪へと出てきてくれたのですが、いっこうに陣痛の気配はなくその日はそのまま終わりました。
 火曜日の今朝に妻のお母さんとボクとで病院に向かおうというところで妻から電話があり、なぜかわからないけど急いできてくれというので行ってみると、朝の診察の結果、医師から陣痛促進剤の投与の選択を迫られているというのです。ボクはその時点ではじめて、破水してからの時間が長引くと細菌感染のリスクが高くなるということを知りました。ロビーで3人で話しているところへ看護士が来てさらに促し、結局は投与を選択しました。妻は奥へ連れて行かれ、ボクと妻のお母さんはそのままロビーで待っていたのですが、やがて呼ばれて通されたのが陣痛部屋でした。すでに妻の腕には点滴の針が打たれ、カーテンだけで仕切られたどこか別の仕切りからは本物の陣痛に苦しむ妊婦の漏らす声が聞こえてくるようなところです。そのような苦痛に歪む声を聞いていると、陣痛促進剤を投与していながらもそれが訪れないで苦痛から隔離されていることに安心を覚えてしまったりするのです。ああ、あの苦痛が妻に訪れるなんて! 目の前の餌に飛びつくだけの浅はかな私!
 昼食も普段通り食べていたので、仕事も残っていたボクはひとまず家に戻ることにしました。家に戻って食事を取って仕事のメールをチェックし、仕事の目処だけを付けて再び病院に戻りました。妻の状態は少しだけ痛みが増しているというくらいで、陣痛促進剤は劇的な成果を果たしてはいませんでした。しばらくまた点滴が投与されていく妻と妻のお母さんと陣痛部屋に待機していたら、ある時に突然胎児の心拍数が劇的に下がってきたのです。ボクはまた妻がベッドの上で姿勢を変えて、お腹に当てている胎児の心拍数をはかる器具の位置がずれたのだと思っていたのですが、看護婦さんが飛んできて先生が診察したところ、胎児になんらかの負担がかかっているとのことでした。陣痛促進剤が直接胎児に影響しているのかどうかわからないけど、破水してから30時間以上が経ち促進剤を投与してもなお陣痛は訪れず、その時点で帝王切開するかどうかの選択を迫られました。その時点で帝王切開せず今しばらく陣痛の訪れを待つという選択肢も残されてはいたのですが、仮に再び胎児への負担がかかった場合のことを考えると、苦渋の選択ではありましたがボクたち夫婦は帝王切開を選択せざるを得ませんでした。もちろんその選択は胎児への負担を減らす一方で母体へのリスクを増すものであり、だからこそ苦渋の選択であったわけです。
 妻がボクたちの子供を産むにあたってはらった犠牲をボクは忘れません。妊娠期間中、そして帝王切開という選択肢を選んだこと、それらはすべて妻が一人で払った犠牲のリストです。そこでボクが出来たことはあまりにも少ないと思います。ボクは出来る限り妻の支えになって妻の不便さや苦痛を緩和出来ればと働いてきましたが、出産に際しては母親にしか出来ないこと、父親であるところのボクがけして立ち入ることの出来ない領域があるのだと思い知らされました。
 帝王切開は無事に終わりました。まず子供が先にボクたち(ボクと妻のお母さん)の前に披露され、しばらくしてから手術を終えた妻がベッドに乗って戻ってきました。破水してから30時間以上経っていること、それから過呼吸の症状が見られることを理由に子供は小児科に即入院ということになりGCU(Growing Care Unit:成長促進室)に移されました。術後で動けない妻を病室に残して、ボクと妻のお母さんは GCU に入り子供と対面しました。過呼吸のために酸素濃度を高くした箱に入れられた子を見て、この子が自分の子だと思うと無条件でこの子を守ってやりたいという気持ちになりました。この子が晒されるであろうあらゆる危険から、そしてこれは間違っているのだろうけど晒された方がこの子のためでもあるような危険からでさえも、ボクがこの子とあらゆる危険との間に立ちはだかってやりたいという気持ちになりました。
 でも考えてみればそんなことは不可能だということはよくわかっているのです。この子にはこの子の人生があるのです。ボクにボクの人生があったように。ただある時点まではそのようにしてやらなければならないと思いました。やがてこの子が強くなり、自分で立ち向かえるようになったときにボクはこの子の前に立つのではなく横に並ぶようになりたいと思いました。そして時にはこの子がボクの前に立ったり、ボクがこの子の前に立ったり、ボクと妻とがこの子を守り、この子がボクたちの庇護を通り越し先へ行くことを願っています。
 ボクはこれまで知り合いであろうと誰であろうと、赤ちゃんという存在に触れたことがありませんでした。生まれて数時間の人間に触れたのははじめての経験でした。こんなに小さくてこんなに不安定で、でもこんなにしっかりとしていてこんなにも力強いものなのかと思いました。
 妊娠期間中と出産に際し妻は十分にがんばってくれました。これからはボクががんばる番です。妻とボクたちの子のために、そして妻とボクたちの子のおかげで、ボクは再びがんばることが出来るような気がします。だから生まれてきてくれてありがとう。この世界はひどいことが多いしその責任の一端は君より先にこの世界で生きてきたボクたちにある。だけどこのひどい世界にあってもなお意味のある生き方を見つけることが出来るようになってほしい。ボクたちがそうしようとしているように。

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