維持と変化

 つい先ほど、妻から無事実家に着いたという連絡を2ヶ月ぶりに戻ってきたばかりの東京のマンションで受けました。その連絡を受けて、この10ヶ月から1年にわたるひとまとまりの出来事に一区切り付いたという感触があります。

 5年ほど同棲していた妻と入籍したのが昨年の6月末、ボクが東京に単身赴任で出てきたのがその翌週の7月初旬、5年間同棲した大阪の家を引き払って妻の知り合いに借りた家で妻と妻の妹が暮らし始めたのが7月末のことでした。それからは隔週ごとに東京と大阪を交代交代にボクと妻が行き交う日々がはじまったのですが、妻の妊娠が発覚したのが11月のことだったと思います。それからはボクが隔週ごとに大阪に帰ることになり、年明けからは妻が安定期に入るまで大阪で仕事をさせてもらえることになりました。それで今年の1月から2月下旬までを大阪で働き、3月と4月を東京で働いたあとゴールデンウィーク明けからふたたび大阪で働くことになりました。なので今年の上半期は3分の2を大阪で過ごしたことになります。このような変則的な働き方を許可してくれた会社には感謝の念しかありません。おかげで元気な子供が生まれました。
 妻のお母さんが出産の前日から仕事を休んで大阪に出てきてくれていろいろ助けていただきました。子供が生まれる前から、生まれたらしばらくは妻の実家で妻のお母さんやおばあちゃんに助けてもらいながら子育てをするという話になっていました。離ればなれになるのは寂しいだろうなと生まれる前から想像していたし、生まれたあとは毎日子供を抱くたびにこれがあと何日しか続かないのかと残りの日数を数えてしまっていたのですが、それでも子供が東京よりは富山で過ごした方が空気もきれいだし妻も周りに助けられるだろうから賛成なのでした。それで今日、妻のお母さんが運転する車で妻と子供は旅立ち、ボクは新幹線で東京に戻ってきたのでした。

 昨年のちょうど今頃に妻と妻の妹と汗だくになって引っ越しをして(引越会社の人の方がもっと汗をかいてたけど)、その1年後にあらたに増えた1人とともに妻は大阪の家を出て実家に戻りました。1年前に3人で汗だくになって引っ越しをしたときにこのような結末を誰が予想したことでしょう。そう思うと、妻と妻の妹の生活のあるひとまとまりに終止符が打たれてそれぞれが新しい生活の中に入っていったのだなと思います。そんな彼女たちを見ていると少し取り残された感じがあって、ボクは基本的には東京で単身赴任をしていて定期的に妻(と子供)の元へ週末帰るという暮らし方に変化はありません。ボクが次に新しい生活を送ることが出来るのは家族3人で暮らすようになったときでしょう。ただ気持ちの上ではいろいろ変化があって、たとえこれまでと同じ生活であってもいろいろな局面を居心地の良いものにしたいなと思うようになりました。
 今後、大阪に帰る機会は激減すると思いますが、将来的に大阪で暮らしたいという気持ちは変わっていません。なぜなら自分の子供が関西弁以外の言葉を喋ることにおそらく耐えられないからです。

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