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January 2009 Archive

新年の抱負 新年の抱負

 新年おめでとうございます。
 年末年始を妻の実家の富山で過ごしています。とても寒くて雪が積もってあたり一面真っ白な中で息子とたくさん遊ぶ日々を送っていたらあっという間に年が明けていました。本年も greenplastic.net をよろしくお願いします。

 年末に1年を振り返らなかったので簡単に。
 2008年はなんといってもまず息子が誕生した年としてこの先も記憶されることでしょう。ちょうど1年の真ん中の7月1日に生まれたので年の前半は誕生への期待、後半は成長への期待とともに見守り続けた年でした。大阪で生まれてすぐに妻の実家の富山で暮らすようになった妻子と東京での単身赴任を続けてきたボクですが、ようやく2月から東京で家族揃って暮らす目処が立ちました。
 子供の成長には驚かされます。11月末に過ごして以来のこの年末年始なのですが、この1ヶ月での息子の成長には目を見張るものがあります。まわりの大人のアクションに対して(機嫌が悪くなければ)笑顔で反応するようになったし、手にしたものは何でも口に入れるようになりました。ボクの顔ですらつかんで口に入れようとします。指を口に入れられたときにはそこに近々生えて来るであろう歯の予感が感じられました。
 クリスマス・イブにはじめて寝返りとお座りが出来るようになった息子はとても元気です。今日はちょうど生まれて半年なので(ハーフ・バースデイなんて言葉で写真屋からは宣伝のはがきが届いてましたが)朝起きたときに『おめでとう』と息子に言いました。新年と生まれて半年おめでとう、と。
 一緒に暮らすようになれば妻と共に子育て出来るのでそれが今から楽しみです。仕事の方もいろいろと頑張らないといけないのですが、家庭とのバランスが狂わないように気をつけながら仕事に励みたいと思います。目下の案件では使用しないプログラミング言語の勉強をする時間を(業務時間内から)捻出することを念頭に置いています。それとは別にプライベートでも資格等の勉強を定期的に続けたいなと思っています。3月に受けるつもりの(まだ勉強をはじめていない)TOEIC を皮切りに。それから近所の図書館でたくさん本を借りて読みたいとも思っています。
 また、社会へのより積極的な働きかけもしていきたいと思っています。抗議活動やデモ行動、困っている人・苦しんでいる人に対して自分が何が出来るのか、たとえば、職を失って住む場所もなくなった非正規雇用の人に対して何一つ関わることなく行動を起こしていないのは信念に反するのではないかと自問しています。自分に何が出来るのか具体的にはまだ分かりませんが、出来ることからひとつひとつ動いていきたいと思っています。

年末年始 年末年始

 年末年始の休みを妻の実家の富山で過ごしました。一週間くらいいましたが、雪が降っているか積もっているかしていたので外に出るととても寒かったです。反面、家の中は暖かい状態に保たれていて、東京に戻ってきて感じたのは外に出ると富山の方が寒かったと思うけど家の中に入ると東京の方が寒いということでした。休みの間は意識して買い物などに出かけるようにしていたのですが、だいたいは家でテレビを見て過ごすことになりました。
 休みの間は息子とたっぷり遊ぶことが出来ました。コミュニケーションらしきものがより芽生えつつあり、こっちのすることでいろいろ笑ってくれるようにもなったし(スルーされるときも多々あったけど)、とにかく何でも掴んでは口に入れるようになりました。ボクの指もよく噛んでいたし(そこには近い将来に生えて来るであろう乳歯の予感があった)、どうも奥歯で物を噛みたいようで以前に買った歯固めのおもちゃだと奥まで届かないので新しいのを買ったら一生懸命に噛んでました。ボクの顔も良く触っていたし、もっと顔を近づけると眼鏡を掴んでなかなか離そうとしなかった。自分の足の指を口に入れようともしていた(実際に入れていた)。お風呂に入れるといつも頭を洗うときに泣いていたのが今回はぐずったり泣きかけたりはしたけど泣くところまではいかなかった。お湯につかる前に膝の上で足の方から少しずつお湯をかけていくときに何度かおしっこもした。布団の上で一生懸命に寝返りの練習をしたり、もう遅い時間なので寝ないといけないのに、気に入ったのか何度も寝返りをしてそのたびに仰向けに戻したり(一度出来てたけど、俯せから仰向けに戻るのはまだマスターしていない)、踵をドンドンと床にぶつけたりおもちゃを掴んだまま腕を振っておもちゃを投げ飛ばしたりといたずらっ子の予感も十分に感じられました。
 ともかく一緒にいることの喜びが大きかったです。来月のはじめに家族揃って暮らしはじめるのが待ち遠しくて、それまでの1ヶ月が長く感じられるのではないでしょうか。

 日曜日の朝一の飛行機で東京に戻ってきました。その時間にはいつも利用する路線の空港行きのバスがなかったので、5時半に家を出て妻に空港まで送ってもらいました。日曜日も全便満席だったので富山空港には人がたくさんいました。離陸する頃にはあたりも明るくなっていて、明るい時間に飛行機に乗るのがもう数年ぶりだったので思う存分窓の外の景色を見ました。飛行機が離陸して上昇するとあたりは田んぼと山しかなくて、そのうち雲を突き抜けるともくもくと広がる真っ白な絨毯に子供たちは(子供連れの家族が何組か乗っていた)喜びの声を上げていました。絨毯が薄くなっているところから地上の田んぼが見えたりして、声こそ上げなかったけどなかなか見ていて楽しかったです。
 羽田からはバスと電車を乗り継ぎました。引っ越す前は京急一本で帰ることが出来たのでこの点については不便になったかも知れません。もしかしたら東京でバスに乗ったのははじめてかも知れません。大きい道を通るのかと思っていたら意外と細い生活道路を通ったりして面白かった。家について洗濯物を干そうとベランダに出ると首に鈴を付けた猫がいました。その日はずっと家にいてDVDを見たり掃除したりして過ごしました。

『人を見た目で判断してはいけない』という教訓 『人を見た目で判断してはいけない』という教訓

 いつだったか忘れたけど正月休みの間に妻の実家であるテレビ番組を見ていたときのこと。その番組は開店して数年以内の行列の出来る人気ラーメン店の店主にこれまでにない新しいラーメンを作らせて審査員にジャッジさせるという趣旨のものだった。審査員は5人いてうち3人がラーメン店の店主(たぶん)、あとのふたりが(ラーメン通の?)芸能人だったと思う。5人と司会者が実際に店を訪れて新作のラーメンを食べ、一人ずつジャッジを下して5人中3人が『参りました』といえばなんとかラーメン(正式な名前は忘れた)に認定されるというものだった。認定されたからどうやねんと思いながらも食数限定で実際にそのラーメンを食べることが出来る店もあったりして、番組を見ている人の中には実際に食べに行った人もいるのかもしれない。
 その番組を見ていてふと思ったことがあって、全員ではないけど見た目が強面だったり派手だったりするような男性の店主の割合が多かったということ。実際に流行っている店ばかりということだからきっと味も良いのだろうけど、どうしてそのような風貌の人の割合が多いのかなと疑問に思った。あるいはその番組に出演した人たちがたまたまそうだったというだけなのかもしれないけど。それで新聞の番組欄を見ていたら『審査員に逆ギレ』みたいな文章が踊っていたので、途中からはラーメンそっちのけで店主の顔を見ては『キレるのはきっとこの人に違いない』と妻と妻のお母さんと言い合っていました。だっていかにもキレそうな風貌の人ばかりだったから。新しい店主が登場するたびに『さっきの人じゃない、この人だ』と確信するのに、ジャッジの段になって審査員からだめと判断されても意外と真摯に受け止めていたりしていたので、人を顔や見た目で判断してはいけないとしきりに反省することになりました。番組の途中で出かける用意をしに2階に上がってしまったので最後まで見られなかったのだけど、妻のお母さんによると結局は最後まで誰も逆ギレはしなかったらしい。番組欄を見て踊らされていたのはボクたちの方なのでした。

たこ焼きパーティーと撮影会 たこ焼きパーティーと撮影会

 土曜日に自宅に会社の同僚を招いてたこ焼きパーティーをしました。引っ越してから家にお客さんを呼ぶのははじめてのことです。昼過ぎに最寄りの駅で待ち合わせてスーパーで食材とお酒を買い込んで、家に着いてからはとりあえず乾杯してからたこ焼きの準備に取りかかりました。事前に同僚のSさんがやまちゃんという大阪の天王寺にあるたこ焼き屋さんのサイトでオリジナルの粉を注文してくれていたので、集まった6人中3人が実際にやまちゃんのたこ焼きを食べたことがあったので、その味が再現できるのかどうかが注目されるところでした。結果的には近い味にはなっていたと思います。鉄板が電気式の簡易なもので温度の調節が出来ないのと位置によって温度にむらがあるためにどうしても少し焼きすぎてしまうのでした。市販の粉で自分の分量で焼くのも楽しいのですが、こうして有名店の粉を使ってその通りに作ってみるのも楽でよいですね。
 家でたこ焼きを焼くときに市販の粉を買っても水の分量を守ったことはなかったけど、今回は書いてある通りにしたのでした。市販の粉だと書いてある水の量では粉が固すぎるのです。それでは外がカリッとしていて中が柔らかいたこ焼きは焼けません。やまちゃんの粉は書いてある通りの分量で『外はカリッと中は柔らかい』やまちゃん流のたこ焼きが焼けました。その分焼くのが少し難しいかも知れませんが、そこは各人の努力次第でしょう。
 他には焼きそばを作ってもらって、あとは乾き物でそれぞれが好きなお酒を飲んでいました。テーブルも何もないリビングの床に座って、引っ越し後まだ開封していない段ボール箱をいくつか持ってきてその上でたこ焼きを焼いていました。もちろん普段会社ではしないような話もたくさん飛び交っていて楽しかったです。気がつくと9時前になっていたのでお開きとなって、電車で帰る人を駅まで見送ってから自転車で来ていた(自転車で来れるくらいのところに住んでいる)同僚の方を散歩代わりに送っていきました(良い感じに酔っておられたので)。引っ越すにあたって家を探していたエリアなので何度か足を運んだこともあって、細かな道まではわからないけど目安となるようなたとえば線路や大きな道などは頭に入っていたので、はじめて歩く道だったけど気にせず送っていき、帰りも自宅の方角へとどんどん知らない道を妻と電話で話ながら歩いていきました。とても寒くて早く家にたどり着きたかったのですが道がわからないので『あとどのくらい』というのがわかりません。ようやく知っている道に出てちょうど家に着く頃に携帯電話の電池が切れたので充電しながら妻と話し続けました。

 同じ日の午前中に富山では妻が息子を連れてはっぴーママという雑誌の撮影会に行ってました。参加費用が千円かかるのですが、もしかしたら表紙に載るかも知れないし、もし表紙に載らなくても中のページには必ず載るし写真ももらえるとのことなので、まあ記念に撮ってもらうことにしたのです。撮影後に妻から電話で『全然笑わなかったからあかんかも』と聞いていたのですが、後でそのときの様子を撮った動画を送ってもらって見たら本当に笑ってませんでした。一生懸命になって笑わせようとするカメラマンやアシスタントの人(?)や妻など大人の努力にチラッと目を向けてはクールに少し広角をゆがめるくらいしか笑いません。そのような息子の『その程度で笑えるか』という態度は、それはそれで褒めてあげたいような気もします。でもまあせっかくなので笑って欲しかったけどね。そりゃまあ表紙に載れば記念になりますしね。
 とまあ、笑っていれば表紙間違いなしだったのに、とか言う日が来るかもしれません。

イスラエルによるガザ侵攻を許してはいけない イスラエルによるガザ侵攻を許してはいけない

 イスラエルによるパレスチナのガザ自治区への侵攻に対するデモが世界各地で起こっている。この前の土曜日と日曜日にも東京でデモの呼びかけがあったことを次の日に知った。そのような情報を積極的に見つけようとしてなかったのだから、もし知っていればなんて言っても仕方がない。
 世界で起こっている許せない出来事に対して具体的に反対の声を上げたいと思うようになった。以前は考えるだけで行動には移したことがなかった。なぜそのように思うようになったのか。息子が生まれて、彼がこの先その中で育っていかなければならないこの世界を少しでも平和でまともで素晴らしいものにしなくてはいけないのではないかと考えるようになったのもひとつの理由かなあと思う。そしてガザでたくさんの子供たちも命を失っていることを知った。
 ボクはまだまだ Wikipedia のガザ侵攻 (2009年)の項もひとつの情報源として、自分なりの関わりを開始したばかりです。まだまだ知らないことが多い。いったい何が出来るのだろうと思ったりするけど、自分一人に何が出来るのだろうなんて自意識過剰な考え方はやめて、みんなが少しずつでも自分の出来ることをしていけば、そしてそうする人の数が増えていけば何かが起こるはずだし何かが変わるはずだと思っています。
 今週末の1月17日に(東京)講演・上映会/緊急集会 戦争反対—占領終結 ガザ攻撃に抗議するに参加しようと思います。出来ることからはじめていきます。

多摩川を走る(丸子橋〜多摩川大橋) 多摩川を走る(丸子橋〜多摩川大橋)

 すっかり運動不足の日々が当たり前のように続いていたので、祝日だった月曜日の昼から久しぶりにジョギングに出かけました。引っ越してきた次の週くらいに走ったきりだったと思うので、約1ヶ月ぶりでしょうか。そのときも久しぶりのジョギングだったからか30分しか走れなかったと記憶してますが、今回はがんばって1時間走りました。
 自宅から多摩川まで歩いて10分で出ることが出来ます。丸子橋と多摩川大橋の中間地点くらいの地点で、まずは前回と同じく上流へ向かって走り始めます。今回はゆっくりしたペースでも良いのでとにかく1時間は走ろうと決意してました。それでいつもよりもゆっくりしたペースで走っていたのですが(いつもでも6分/kmくらいのペースですが)、どうも Nike+ の様子がおかしいみたいでものすごいハイペースになっている。5分で1.2キロとか走ってることになってるからびっくり。その後もしばらく間違ったペースが続いたものの、途中からおとなしくなった。ガス橋をくぐって横須賀線・東海道新幹線の線路をくぐって丸子橋の手前で折り返し、同じコースを戻ってスタート地点を通り過ぎて多摩川大橋の手前で再び折り返し、再度スタート地点を通り過ぎてガス橋をくぐって最後に少しペースを上げて1時間。風が強くて向かい風になるとペースが落ちるのが感じられましたが、全体的には無理せず心地よく走ることが出来たと思います。再びジョギングを習慣づけないといけないので、心地よく走り終えるのも大切なことのひとつです。
 結局、Nike+ によると10kmちょっと走ったみたいですが走り出しのトラッキングがおかしかったので当てにならないと思い、Google マップで距離を測定してみました。丸子橋〜多摩川大橋がだいたい4kmくらいだったので、往復8kmプラスアルファといったところでしょうか。以前は1時間で10kmオーバーだったので、また習慣づけて以前の状態に戻ってさらにその先を目指したいです。

『戦争反対―占領終結 ガザ攻撃に抗議する』緊急集会に参加して考えたこと 『戦争反対―占領終結 ガザ攻撃に抗議する』緊急集会に参加して考えたこと

 先週末土曜日に東京は本郷で行われたイスラエルによるガザ攻撃に抗議する集会に参加してきました。
 HOWSホールという(良い感じに)くたびれた感じのビルの一室に最終的には入りきらないくらいの人が集まりました(40〜50人くらいかな)。ボクは少し早めに着いたので最前列の一番右という喋る人の近くで表情を窺いながら話を聞くことが出来ました。岡真理さんの話にはボク自身気がついていなかったことに気がつかされる話がありました。岡さんが京都新聞に寄稿されたこちらの記事では、『知らなかった(から仕方ない)』といって自己を正当化する(あるいは、逃げ道を用意する)とき、では『知っていたら行動を起こしていたのですか?』という問いに自分はどう答えられるだろうかと考えさせられました。他にも日本のマスメディアがいかに偏った情報しか伝えていないかということもおっしゃられていました(テレビも新聞も読まないのですが、聞くところによるとひどいようです)。
 年末までヨルダン川西岸にいたというジャーナリストの小田切拓さんは、主にマスメディアへの働きかけの話をされました。岡さんもおっしゃられていたのですが、新聞やテレビのニュース番組といったマスメディアのみを情報源とする人たちと、その日その場に集まったようなネットで積極的に情報を入手している人たちとの間で、今回のイスラエルによるガザ侵攻に対する考え方が大きく異なるとのことでした。マスコミでは『イスラム原理主義組織ハマースによるミサイル攻撃への反撃』として今回のイスラエルによるガザ侵攻が伝えられているそうですが、そもそもの問題の根源を考えない限りパレスチナ問題は解決しません。ガザは40年以上にわたってイスラエルに占領されているのです。そのことを多くの人が知るためにも間違った報道をただすための抗議をメディアに対して行ってみてはどうかという提案がありました。小田切さんはテレビのニュース番組に関わっていたこともあるそうで、どのニュース番組だと視聴者の意見が伝わりやすいかという話もされていました。NEWS23が『攻めどころ』だそうです。今夜にでも携帯電話のワンセグで見てみようと思います。
 今回の岡さんの講演のテーマでもある『私たちに何ができるか』ということを自分に引きつけて考えてみると、たとえばこのような集会に参加してそこで話されたことや自分が考えたこと、あるいはそのような集会やデモが今度あります(ボクも参加する予定です)とかいうことをブログに書くことも自分に出来ることのひとつだと思います。またデモに参加したりしてきちんと抗議の声を上げることが必要なのだと思います。
 日曜日にも東京では映画の上映と岡さんの講演があったのですが、土曜の夜から腰痛が出てきて日曜日は家でずっと寝ていました。今はイスラエル・ハマース双方とも停戦状態に入ったようですが、イスラエル軍はガザに残留しています。イスラエルが停戦宣言をしてそれを実行したところで何も褒められたことじゃないということを肝に銘じておかないといけません。イスラエルは昨年12月27日に攻撃を開始してからすでに1300人以上のパレスチナ人を殺したのです。ガザはイスラエルにより40年以上にわたって占領され続けています。占領されるものが占領するものに抵抗するのは当然のことではないですか? 占領されるものと占領するものとの圧倒的な軍事力の差や、占領されるものと占領するものとの圧倒的な死者数の差には目もくれないわけですか? そんなことはまったくフェアじゃない。
 40年以上にわたり占領し続け、この二十数日間で1300人以上の人々を殺害した罪の責任は問われるべきです。イスラエル軍はガザから即時撤退し、イスラエルはガザの占領状態を即時解除するべきです。

 土曜日の集会ではじめて聞いた、占領下のガザでのパレスチナの人々の生活はひどいものでした。そのような状態が一刻も早く解消されることを強く希望するとともに、かつて日本が他国を占領した歴史についても考えていかなければならないと思いました。

さくら水産の日替わり定食献立表を取得する(改) さくら水産の日替わり定食献立表を取得する(改)

 会社の近くにさくら水産があるのでお昼によく利用している(一時期は毎日通っていた)。夜は最近は行ってないなあ。
 Plaggerさくら水産のランチメニューをごにょごにょするこちらのスクリプトさくら水産の日替わり定食献立表を取得する - noboruhiの日記 - Plaggerグループがそのままだと動かなかったので下記のように書き直してみました。

assets/plugins/CustomFeed-Script/sakura.pl

#!/usr/bin/perl -w
use strict;
use utf8;
use DateTime;
use DateTime::Format::W3CDTF;
use Encode;
use Web::Scraper;
use URI;
use YAML;

my $uri = URI->new("http://www.teraken.co.jp/menu/lunchmenu/index.html");
my $s = scraper {
  process "table tr",
    "list[]" => scraper {
      process 'div[align="right"]', "date" => 'TEXT';
      process 'div[align="left"]',  "text" => 'TEXT';
      result 'date','text';
    };
  result 'list';
};

my $scr = $s->scrape($uri);

my $feed = {
    title => "さくら水産",
    link  => $uri->as_string,
};

for my $menu (@{$scr}) {
  if ($menu->{text} and $menu->{date}){
    push @{$feed->{entries}}, {
      title => $menu->{text},
      date  => munge_datetime($menu->{date}),
    };
  }
}

binmode STDOUT, ":utf8";
print YAML::Dump $feed;

sub munge_datetime {
    my ($date) = @_;
    $date =~ m!(\d{1,2})月(\d{1,2})日! or die "No match: $date";
    my($month, $day) = ($1, $2);
    my $dt = DateTime->new(
        year  => DateTime->now->year,
        month => $month,
        day   => $day,
        hour  => '12',
        minute => '00',
        time_zone => 'Asia/Tokyo',
    );
    return DateTime::Format::W3CDTF->format_datetime($dt);
}

sakuranch.yaml

global:
  plugin_path:
    - lib/Plagger/Plugin
  assets_path: assets
  timezone: Asia/Tokyo
  log:
    level: error

plugins:
  - module: CustomFeed::Script
  - module: Subscription::Config
    config:
      feed:
        - script:/PATH/TO/assets/plugins/CustomFeed-Script/sakura.pl

  - module: Aggregator::Simple

  - module: Publish::iCal
    config:
      dir: .
      filename: sakuranch.ics

 iCal から sakuranch.ics を照合するのには問題ないのですが、Google Calendar に追加しようとすると文字化けしてうまくいかない。
 ボクの iCal の使い方は、Google Calendar をメインにして BusySync で iCal からも参照・変更出来るようにしているというもの。BusySync は『Google Calendar → iCal』『iCal → Google Calendar』の両方とも出来るので iCal で照合したランチメニューを Google Calendar に公開しました。本当は Google Calendar に直接追加して、他のカレンダー同様 BusySync で『Google Calendar → iCal』としたかったのですが。
 perl 初心者なので変な書き方してたらすみません><

『チェ 28歳の革命』を見て考えたこと 『チェ 28歳の革命』を見て考えたこと

 金曜の夜に仕事帰りに映画チェ 28歳の革命を見に行ってきました。東京に出てきてそういうこと(会社帰りに映画を見に行くこと)をするのははじめてのことです。しようと思えばいくらでも出来たはずなのに、気持ちの変化なのかそれとも作品に惹きつけられたのだろうか。
 ラゾーナ川崎にある109シネマズで見たのですが、9時15分からのレイトショーだと1200円なのです。7時半くらいに会社を出て8時前には着いたので、まず映画館で席を確保してから1階のフードコートで夜ごはんに盛岡冷麺を食べました。ごはんを食べても映画の時間までけっこうあるので喫茶店でコーヒー飲みながら読書できると予想していたのですが、無印良品や書店をぶらぶらしているとそんなでもなくなりました。なのでそのまま映画館に行ってベンチで本を読みながら待っていたらすぐに入場がはじまりました。金曜日のレイトショーを見に行く人は少ないのかも知れません。
 映画は1956年から1959年にかけてのキューバ革命を目指した闘争と、1964年のニューヨークでの国連総会での演説の様子が平行して描かれていました。闘争のシーンでは(山の中での単調なシーンが続いたあたりで少しうとうとしてしまったのですが)パレスチナのことを思い出さないわけにはいきませんでした。とくに革命軍が都市部に侵攻してから、市街地に隠れた革命軍に対して軍事政権が空爆を行い市民が巻き込まれている場面を見ると、市民が生活を送っている街中に爆弾が落ちてくることからの連想でイスラエルのガザ侵攻を思い出さないわけにはいきませんでした。
 映画を見て考えたこと。
 支配する者(虐げる者)と、支配される者(虐げられる者)がいるところで、虐げられる者が解放されるにいたる道がもし武力闘争しかないとしたら悲しい気がする。ただ、虐げる者はやはり武力を背景にして支配を行っているわけだから、支配する側に大きな転換がない限り、それに対抗しようとするとやはり武力を持って行うしかないのだろうか。
 ただ、今この時代に武力闘争は可能なのだろうかとも思った。支配する者の圧倒的な軍事力に対抗するのは難しい。イスラエル軍とハマースとの軍事力の差は圧倒的なので軍事力を前提とした武力による闘争は成功しないと思わざるを得ない。この映画を見ていると、支配される者が解放されるに至る道は武力闘争しかないのではないかと思うようになるのだけど、圧倒的な軍事力の差を前にするとそれはけして成功しないだろうと思わざるを得ない。
 ではどうすればよいのだろうか。それは虐げられている当事者だけに闘わせないことではないでしょうか。たとえ中東から遠く離れていようと、ガザで何がなされたのかということを知り、そしてそれに反対の声を上げなければならないのではないでしょうか。この1ヶ月、ガザのことを考えない日はないのですが、そのことを会社なんかでまわりの人と話した記憶がほとんどありません。1300人以上の人が死んでいるというのにこの無関心さは何なのかと問いただしたくなったりします。
 そしてガザだけではなく他の問題にも、そして自分自身が虐げる側にまわっていないかということについても敏感になりたい。キューバ革命が虐げられる者を解放したとはいえ、その武力闘争の中で革命軍が多くの軍事政権の兵士を殺害したことそのものにはボクはやっぱり諸手を挙げて賛成は出来ません。ガザ侵攻についてもガザ市民に1300人以上の犠牲者がいるとともにイスラエル側にも犠牲者がいることを忘れてはいけないと思う。死者の数は何かの根拠になるのではなく、それだけの悲しみがそこに生み出されたということ、必要のないものがそれだけ生み出されたということなのだと思います。

『阪神・淡路大震災』を思い返して 『阪神・淡路大震災』を思い返して

 1月17日の夜にGIGAZINEあの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集 - GIGAZINEというエントリーをみつけて、そこからリンクの張られたyoutubeの動画を見続けていた。ボクが東京に出てきたのはまだ1年半くらい前のことで、それまでは生まれてからずっと大阪に住んでいたので、1995年1月17日のことは今でもとても良く覚えています。
 その瞬間、1995年1月17日午前5時46分に自分が何をしていたかというと、布団に入って眠ろうとしていました。どういう理由かは忘れたけど朝方まで起きていたようです。ちょうど布団に入ってうとうととしかけたところに激しい揺れが訪れ、はじめはそれが現実のものだとは思いませんでした。夢の領域に属するものだと感じたのですが、その揺れによって眠りから覚まされると部屋にあったタンスが激しく揺れていてその上に載せていた物が落ちてきそうになっているのを支えようとしたものの、それが自分の頭の上に落ちてきたのを覚えています。特に重い物が載っていたわけでもなくて、部屋を出て台所を見ても食器が割れているとかいうようなことはありませんでした。大阪でも比較的東よりの地域だったので被害も少なかったのかも知れません。しかしそれまで経験したことのないほどの揺れであったことは確かだったので、そのまま眠るのをやめてテレビを見続けました。
 阪神高速道路が橋桁ごと倒れてしまっている映像を見たときの驚きはそれ以前に経験したことのないものだったし、それ以降でいえば2001年9月11日にニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が突っ込む模様をテレビの画面で目撃したのと同じくらいの衝撃を受けました。どちらの映像を見たときも、そのようなことが現実に起こりうるのだという可能性を自ら考えてこなかったことに対する不甲斐なさと、それでは一体誰がこのような事態を想定できて、一体どのような対策を講じることが出来たのかという無力感と、単純にそれまでフィクションの中でしか起こらなかった事態・見たことのない映像を前にした興奮とに襲われた記憶があります。震災の約2ヶ月後に起こった地下鉄サリン事件の映像もテレビで見てはいましたが、一体東京で何が起こっているのだと思ったものの、不甲斐なさや無力感といったものには襲われませんでした。その代わりに(というのも変だけど)それからしばらくの間、大阪で電車に乗っていると突然不安感に襲われて気分が悪くなり、途中の駅で休むというようなことを経験することにはなりましたが。
 震災後、何度となく神戸の街にも足を運びましたし、ルミナリエにも何度か行きました。震災直後にも神戸には足を運んだのですが、まだ傾いたままの建物を実際に目にもしました。中学3年生の冬にメリケンパークを訪れて以来、次にメリケンパークを訪れたのは震災後でした。そこには以前にはなかった震災被害のメモリアルパークがありました。
 東京に出てきて1年半あまりが経ちますが、大きな地震が起こるとしきりにいわれています。阪神・淡路大震災という未曾有の大被害から学ぶべきことは、日頃から地震対策を怠らないということではないでしょうか。たとえば非常食、携帯電話などの通信網が機能しなくなったときに家族と落ち合う場所を決めておくこと。
 あの震災から14年が経って、あのときの映像を夜中に一人で見ていると、あのときには感じなかった思いが芽生えてきます。倒壊した家屋の下敷きになった家族を助けられないことの無力感と苛立ち、諦めの声の裏にある重い感情。6400人以上の死者を出したこの未曾有の災害からボクたち生き残ったものは学び取り、対策を立てなければなりません。国・自治体といった行政レベルと、それからもちろん各家庭レベルでもです。
 このようなことを書いているボク自身も現時点ではまったく何もしていません。非常食、懐中電灯、発電式のラジオ、簡易医療セット、そのようなものを揃えるところからはじめようと思います。

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