『阪神・淡路大震災』を思い返して

 1月17日の夜にGIGAZINEあの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集 - GIGAZINEというエントリーをみつけて、そこからリンクの張られたyoutubeの動画を見続けていた。ボクが東京に出てきたのはまだ1年半くらい前のことで、それまでは生まれてからずっと大阪に住んでいたので、1995年1月17日のことは今でもとても良く覚えています。
 その瞬間、1995年1月17日午前5時46分に自分が何をしていたかというと、布団に入って眠ろうとしていました。どういう理由かは忘れたけど朝方まで起きていたようです。ちょうど布団に入ってうとうととしかけたところに激しい揺れが訪れ、はじめはそれが現実のものだとは思いませんでした。夢の領域に属するものだと感じたのですが、その揺れによって眠りから覚まされると部屋にあったタンスが激しく揺れていてその上に載せていた物が落ちてきそうになっているのを支えようとしたものの、それが自分の頭の上に落ちてきたのを覚えています。特に重い物が載っていたわけでもなくて、部屋を出て台所を見ても食器が割れているとかいうようなことはありませんでした。大阪でも比較的東よりの地域だったので被害も少なかったのかも知れません。しかしそれまで経験したことのないほどの揺れであったことは確かだったので、そのまま眠るのをやめてテレビを見続けました。
 阪神高速道路が橋桁ごと倒れてしまっている映像を見たときの驚きはそれ以前に経験したことのないものだったし、それ以降でいえば2001年9月11日にニューヨークのワールドトレードセンターに旅客機が突っ込む模様をテレビの画面で目撃したのと同じくらいの衝撃を受けました。どちらの映像を見たときも、そのようなことが現実に起こりうるのだという可能性を自ら考えてこなかったことに対する不甲斐なさと、それでは一体誰がこのような事態を想定できて、一体どのような対策を講じることが出来たのかという無力感と、単純にそれまでフィクションの中でしか起こらなかった事態・見たことのない映像を前にした興奮とに襲われた記憶があります。震災の約2ヶ月後に起こった地下鉄サリン事件の映像もテレビで見てはいましたが、一体東京で何が起こっているのだと思ったものの、不甲斐なさや無力感といったものには襲われませんでした。その代わりに(というのも変だけど)それからしばらくの間、大阪で電車に乗っていると突然不安感に襲われて気分が悪くなり、途中の駅で休むというようなことを経験することにはなりましたが。
 震災後、何度となく神戸の街にも足を運びましたし、ルミナリエにも何度か行きました。震災直後にも神戸には足を運んだのですが、まだ傾いたままの建物を実際に目にもしました。中学3年生の冬にメリケンパークを訪れて以来、次にメリケンパークを訪れたのは震災後でした。そこには以前にはなかった震災被害のメモリアルパークがありました。
 東京に出てきて1年半あまりが経ちますが、大きな地震が起こるとしきりにいわれています。阪神・淡路大震災という未曾有の大被害から学ぶべきことは、日頃から地震対策を怠らないということではないでしょうか。たとえば非常食、携帯電話などの通信網が機能しなくなったときに家族と落ち合う場所を決めておくこと。
 あの震災から14年が経って、あのときの映像を夜中に一人で見ていると、あのときには感じなかった思いが芽生えてきます。倒壊した家屋の下敷きになった家族を助けられないことの無力感と苛立ち、諦めの声の裏にある重い感情。6400人以上の死者を出したこの未曾有の災害からボクたち生き残ったものは学び取り、対策を立てなければなりません。国・自治体といった行政レベルと、それからもちろん各家庭レベルでもです。
 このようなことを書いているボク自身も現時点ではまったく何もしていません。非常食、懐中電灯、発電式のラジオ、簡易医療セット、そのようなものを揃えるところからはじめようと思います。

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