10年以上前のある冬に夏目漱石の小説をまとめて読んだことがあった。大学に入るためにとにかく英語を一生懸命に勉強していた頃で、とにかく英語の文章をひたすら読んでいた反動からかどうか、漱石の作品を読み漁った記憶がある。それがまたたいそう面白かった。そのときは特に門がたいそう気に入った。結局は何も起こらない様がその頃のボクの気概にあったのだろうか。しかしそれぎり読み返すことは特になかった。
ところで最近は読書できるのは通勤電車の中と会社の昼休みと、それからなんと言ってもお風呂の中です。いつもだいたい30分は半身浴をして汗をかくので、その間することがないので本を読んでいます。むしろ本を読まないと退屈なので30分もお湯に浸かっていられないかもしれません。それであるときに本棚から久しぶりに漱石の門を抜いたのでした(10年以上前に買ったまさにその文庫本なので古くかび臭い紙の臭いがした)。久々に読んでみるとよく覚えているところとそうでもないところとがあったのですが、以前にこの小説を気に入ったときと同じような気に入り方はもう出来なかったようでした。かといって面白くないこともなく未だに面白い小説ではあったのです。門を読み終えて、次は行人を、そして今はこころを読んでいます。特に行人は前半の舞台が大阪なので余分に楽しむことが出来ました。和歌山で嫂とふたりっきりになるところがもう物語のピークだと思っていたら、その後もまだまだずっと話は続いたので記憶の当てのならなさにあらためて思い至るような有様でした。
ところで漱石のこころという小説は中学校か高校かの国語の教科書によく載っているそうですね。ボクはたまたまそのような教科書には出会いませんでしたけど、いったいどのあたりが抜粋されてるんでしょう。遺書の部分なのでしょうか。
しかし『中 両親と私』のラストは見事だと思います。死にゆく自分の父親を残し、もしかしたらもうすでに死んでいるかもしれない先生からの手紙を携えて東京への電車に飛び乗り(死者からの)手紙を読み始めるところでスパッと終わり、『下 先生と遺書』が延々と続く。この切り替わりはなかなか効果的だと思います(父親がその後どうなったのかとか、そのせいで語られずに終わることも出てくるのですが)。
ところでボクがはじめて漱石の小説に触れたのはたしか小学校の高学年、11歳くらいの頃だったと思います。その頃怪我をして入院したことがあったのですが、ベットの上で一日を過ごすのが退屈で仕方なく、親に頼んで漱石の文庫本を揃えてもらったのでした。せっかく揃えてもらったものの、結局は吾輩は猫であると坊っちゃんくらいしか読みませんでしたが。