あせも、子育てから学ぶこと

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 先々週末くらいに子供のおでこや首やおしりにあせもが出来ているのに気がついたので妻が皮膚科に連れて行って薬をもらってきました。保育園の先生のアドバイス通りに朝にもシャワーをするようにして、薬を塗って気をつけていたら一時はましになってきていたのだけど、昨日一昨日くらいに急にまた赤い発疹が広がってきているのを見付けたので、昨日保育園のあとで妻が再度皮膚科に連れて行ったらカンジタ性皮膚炎だと言われました(カンジタって性病だと思ってた)。いずれにせよ、皮膚の状態を清潔にしておくことにはかわりがないので、今朝もシャワーをして薬を塗りました。あせもよりも発疹の出方が激しいので見ているだけで可哀想になってきます。
 それで、ボクが子供の頃はお風呂上がりに天花粉をぱたぱたとよく付けられていたなあと思い出したりしました。呼び方はいろいろとあるみたいですが、最近ではあまり使われなくなっているみたいですね。妻もベビーパウダーは使わない方がいいと言っていました。あれはたぶん汗をかいても粉がすぐに吸収して肌がべたつかないという効果があったのでしょう。確かに、お風呂のあとで薬を塗っても遊んでいるうちにまたすぐに汗は出てきてますからね。ただそのせいで毛穴がふさがって、正常に汗がかけないようになったりもするみたいです。
 最近また育児に関する悲しい事件があったりしていろんな人がいろんな考えを言っています。ボクもいろいろ思うことはあるけれど、育児の大変さはそれを実際にしている人か間近で見ている人、関心がある人じゃないとわからないと思います。そして子供を育てるということが各家庭内だけの問題ではなく社会の持続性に関わる問題であるという認識を持つかどうかで、育児に対しての考えは大きく異なるでしょう。もっとも、ボク自身も自分に子供が出来るまでは無関心な方でしたし、今でも社会の持続性のことを考えて育児しているかというとそうではありませんと答えるでしょう。実際は日々の、目前の問題に向き合うだけでいっぱいいっぱいです。毎朝同じ問題が持ち上がると同時に、新たな問題がそこに加わります。それを子供の成長と喜ぶにはあまりにもゆとりのない生活を送らざるを得ないというのが正直な感想です。本当は子供の新しいぐずり方ひとつひとつを喜びたいのですが、仕事は毎日同じ時間にはじまるし、今のところそれに従わざるを得ません。
 毎朝、時間のない中で子供を保育園に送っていく準備と自分の出勤の準備をし、その過程で思うように動いてくれない子供に怒ってしまう自分が、つい声を荒げてしまう自分が嫌で仕方ありません。なんとか家を出て道中一緒に歌を歌ったりしながら保育園に預けたあと、ひとり会社へ向かう段になると嫌悪感に襲われます。どうしてあんな怒り方をしたんだろう、今日は早く帰って朝のことを子供に謝ろう、そして一緒に遊ぼう、と。また、もし朝怒ったことで子供が一緒に遊ぶのを嫌がったらどうしようと不安になりもします。毎日がそれの連続です。だから、子供が思うように動いてくれないときでもきちんと子供と向き合って、話をして、一緒にやることを決めていけるように心にも時間にも余裕がある生活にしなければなと思っています。
 子育てを通して自分を見直す日々であります。そこから何も学べないなら真性のアホですな。

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