何も考えずに毎日遊んで暮らしていた子供の頃

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 1ヶ月ほど前に妻に聞いた話がとても面白かったので印象に残っている。
 会社のお昼休みに同僚の人たちとお弁当を食べているときに、子供の頃は良かった、何も考えずに毎日遊んで暮らしていた子供の頃に戻りたい、という他愛もない話題になったそうな。それでその場にいた3人のうちで最年少だった妻だけが『そうは思わない』派だったそうで、残りの2人に大変驚かれたのだという。
 妻が言うには、たしかに子供の頃は何も考えず苦労も知らずに毎日を楽しく遊んで暮らせたかも知れない、しかし大人にならないと経験できないことはたくさんあって、それはときには苦労を伴うかも知れないけれど、その分喜びも大きいのではないか。たしかにそうかもしれないとそこでボクは思う。すべてが自分の望み通りにいくことがはたして幸せなのかというと、そうではない場合もあるだろう。たとえば、ボクは大学を出てはじめて勤めた会社では大変苦労をしたと今でも思っているけれど、あのときの苦労が今の仕事に対するスタンスの基礎となっているとも思っている。他にも理由はあるけれども、苦労を通して何人かの素晴らしい人たちと出会うことも出来た。もしあのときボクがより働きやすい他の会社を選択することが出来たなら、きっとそっちを選んでいたと思う。ときには必要な苦労であるとか、苦労の先にあるであろう喜びであるとかいったものを常に望むことが出来るほどにボクは立派な人間じゃない。
 話を戻すと、『何も考えずに毎日遊んで暮らしていた子供の頃』に妻が戻りたいと思わない理由は2つあって、それは現在の意識を持ったまま戻れるのかどうかということ。もし現在の意識を持ったまま戻れたとしても(妻の同僚の人たちもおそらくこっちだと思う)、大人の意識を持ったまま周りの子供たちと本当に毎日楽しく遊んで暮らすことが出来るのかどうか、最初の何日かは楽しいかも知れないけど子供の遊びなんてすぐに飽きるし、親からは干渉されて自由さなんてもちろんないし、楽しいはずがないという理由がひとつめ。もうひとつは、もし現在の意識を持たずに戻るのだとすれば、戻ったという自覚すらない状態で1回目の子供時代と何ら変わらないんじゃないか、だとすればそれは本当に戻ったことになるのだろうか、というものだった。
 何も考えずに毎日遊んで暮らしていた子供の頃に戻りたいという現代ストレス社会で闘う労働者なら思い至らない日はない他愛もない話題について、場合分けをして真剣に検証している妻が面白くて悔しいのだった。

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