東北地方太平洋沖地震

 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について自分が体験したことを書き留めておこうと思います。

 3月11日14時46分ごろに何をしていたかというと、会社の自席で仕事をしていました。たしか少し前に近くの蕎麦屋でにしん蕎麦を食べたと記憶しています。4階建てのビルの4階にオフィスは位置するのですが、揺れは収まるどころか増していくように感じられたのでとりあえず屋上に出ました。屋上に出るという判断が正しいものなのかどうかはいまだにわかりません。大きな横揺れが長時間続きました。揺れそのものに建物を破壊するのではないかという強さは感じなかったけど、それがなかなか終わらないことで少しずつ建物が崩されてしまうのではないかということは頭によぎりました。
 妻は子供を連れて富山の実家に帰っていたので、まずは富山の安全を確認しようと妻の携帯にかけても電話がつながらなかったので、事務所に戻って会社の電話から実家の固定電話にかけて安全が確認出来ました。それでほぼ落ち着くことが出来たので、揺れが収まった頃合いを見計らって階段を使って表に出ることにしました。屋上に出たときに通りに人がたくさん出てきているのを見ていたからです。
 その後も、揺れが収まったと思って事務所に戻るたびに余震が来てまた表に出るということを何度か繰り返したと記憶しています。外出していたり他社に常駐している社員や、親しい取引先の人などの安全を一通り確認した他は、あとはもう ustream でひたすら NHK の放送を見ていました。仕事はほとんど手に着かなかったです。お台場の方で火災が発生している、千葉の石油コンビナートで火災が発生している、津波が地表を黒く染め田畑や家屋を飲み込んでゆく様子をただ目にしているだけでした。
 それから、首都圏の鉄道が全面的に止まっているという問題が浮上してきました。JR東日本が早々に当日中の復旧はないと発表したことで帰られないことが確定した人が何人かいました。ボクは東急が動いてくれれば帰られたのですが、帰られなかったら帰られなかったで別にかまわないやと思っていたので、会社の近くで軽く飲んでいました(明治通り沿いの店で飲んでいたのですが、新宿方面から渋谷方面へ向かう人の数がすごかったです。)
 結局、深夜を過ぎてから会社を出て渋谷まで歩いて東急東横線に乗って帰宅することが出来ました。家に着いたのはたしか夜中の3時頃だったと記憶しています。

 以上が地震当日から帰宅するまでの様子です。会社は千駄ヶ谷にあって、被害と言うほどの被害はありませんでした。地震の直後から原発が危ないと思い続けてきたのが現実のものとなり、電力が不足していて週明けの月曜日は自宅待機になったりもしました。
 ボクは阪神大震災も大阪で経験していて、今度の地震も東京で経験しました。どちらも被害の中心から離れたところで経験して感じていることは、今回は中心にはいなかったけど、今度いつ自分の足下が揺れるのかは誰にも分からないということです。誰があんなに大きな津波が押し寄せてくることをわかっていたでしょう。
 地震が発生してから今日で10日が経ちました。死者の数は日に日に増える一方です。復興にはかなりの時間がかかることだろうと思います。今自分に出来ること、そしてこの先、継続的に出来ることは何だろうと考えながら日々を送っています。

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