タグ「Tokyo」が付けられているもの

年末年始

 年末年始の休みを妻の実家の富山で過ごしました。一週間くらいいましたが、雪が降っているか積もっているかしていたので外に出るととても寒かったです。反面、家の中は暖かい状態に保たれていて、東京に戻ってきて感じたのは外に出ると富山の方が寒かったと思うけど家の中に入ると東京の方が寒いということでした。休みの間は意識して買い物などに出かけるようにしていたのですが、だいたいは家でテレビを見て過ごすことになりました。
 休みの間は息子とたっぷり遊ぶことが出来ました。コミュニケーションらしきものがより芽生えつつあり、こっちのすることでいろいろ笑ってくれるようにもなったし(スルーされるときも多々あったけど)、とにかく何でも掴んでは口に入れるようになりました。ボクの指もよく噛んでいたし(そこには近い将来に生えて来るであろう乳歯の予感があった)、どうも奥歯で物を噛みたいようで以前に買った歯固めのおもちゃだと奥まで届かないので新しいのを買ったら一生懸命に噛んでました。ボクの顔も良く触っていたし、もっと顔を近づけると眼鏡を掴んでなかなか離そうとしなかった。自分の足の指を口に入れようともしていた(実際に入れていた)。お風呂に入れるといつも頭を洗うときに泣いていたのが今回はぐずったり泣きかけたりはしたけど泣くところまではいかなかった。お湯につかる前に膝の上で足の方から少しずつお湯をかけていくときに何度かおしっこもした。布団の上で一生懸命に寝返りの練習をしたり、もう遅い時間なので寝ないといけないのに、気に入ったのか何度も寝返りをしてそのたびに仰向けに戻したり(一度出来てたけど、俯せから仰向けに戻るのはまだマスターしていない)、踵をドンドンと床にぶつけたりおもちゃを掴んだまま腕を振っておもちゃを投げ飛ばしたりといたずらっ子の予感も十分に感じられました。
 ともかく一緒にいることの喜びが大きかったです。来月のはじめに家族揃って暮らしはじめるのが待ち遠しくて、それまでの1ヶ月が長く感じられるのではないでしょうか。

 日曜日の朝一の飛行機で東京に戻ってきました。その時間にはいつも利用する路線の空港行きのバスがなかったので、5時半に家を出て妻に空港まで送ってもらいました。日曜日も全便満席だったので富山空港には人がたくさんいました。離陸する頃にはあたりも明るくなっていて、明るい時間に飛行機に乗るのがもう数年ぶりだったので思う存分窓の外の景色を見ました。飛行機が離陸して上昇するとあたりは田んぼと山しかなくて、そのうち雲を突き抜けるともくもくと広がる真っ白な絨毯に子供たちは(子供連れの家族が何組か乗っていた)喜びの声を上げていました。絨毯が薄くなっているところから地上の田んぼが見えたりして、声こそ上げなかったけどなかなか見ていて楽しかったです。
 羽田からはバスと電車を乗り継ぎました。引っ越す前は京急一本で帰ることが出来たのでこの点については不便になったかも知れません。もしかしたら東京でバスに乗ったのははじめてかも知れません。大きい道を通るのかと思っていたら意外と細い生活道路を通ったりして面白かった。家について洗濯物を干そうとベランダに出ると首に鈴を付けた猫がいました。その日はずっと家にいてDVDを見たり掃除したりして過ごしました。

妻と引っ越し先を見てきました

 すっかり週一回しかブログを書かないようになってしまいました。書きたいことがないわけではけしてないのですが、きっと他にやりたいことがあってそっちに時間を割いてしまっているのだと思います。まあ読書したりゲームしたり飲みに行ったりしているだけですが。
 ところで、ここしばらく引っ越し先を物色していました。来年2月末くらいに妻と子供が富山から東京に出てきて家族で暮らし始める家を今から探しておこう、そして良い家があればボクだけ先に引っ越しておこうという段取りで進めていたのですが、先週末の土曜日に朝一の飛行機で妻が富山から出てきて不動産屋で再度物件を絞り込んでから4件ほど実際に物件を見に行って、引っ越し先を決めることが出来ました。ボクひとりで決めるのが心許なくて妻に出てきてもらったのですが、やっぱりふたりで決める方が楽でした。
 朝一の飛行機で8時過ぎに羽田空港に着いた妻とターミナルビルの中のカフェで朝食をとり、10時から12時過ぎまで不動産屋で物件の物色、それから実際に物件を4件見て回りました。途中でファミレスでうどんを食べて休憩したけど、とにかく寒くて雨もときどきぱらついていました。2番目に見たのと最後に見たのとが気に入ったのですが、最後に見た物件は1階だったけどとにかく広かったのと、場所が探していたエリアに一番近かったのです。2番目に見た物件は3年しか借りられないということだったので、長く住むことも考えて最後に見た物件に決めたのでした。
 ここのところ、心のどこかでずっと引っ越し先のことが気になっていました。良い物件が来年の2月までに見つかるだろうか、ボクは妻と子供と一緒に暮らせるだろうかという不安です。半分冗談のような、半分本気の不安です。そういうわけで、引っ越し先が見つかってひとまずほっとしました。今のマンションもそうなのですが法人契約で会社に借りてもらっているので(幾何かの住宅費補助が出ています)、週明けの月曜からさっそく会社と不動産屋の間で書類が行き来しているようです。引っ越し先が見つかったので次は早く引っ越してしまいたくなってきました。つもりでは今月末か来月頭くらいに引っ越そうと考えています。それからの数ヶ月をあの広いがらんとした家でひとり過ごすのかと思うと寒さに身震いしてしまいそうになりますが。
 時間があれば映画でも、と思っていたけど時間的な余裕も見たい映画も特になかったのでラゾーナ川崎で買い物をしました。富山の実家で子育てしていると自分の買い物をする時間もあまりないので大阪でもよく行っていた服屋さんに行っていました。コーヒー飲んで休憩したりあまり美味しくなかったアイスクリームを食べたりしてから少し早かったけど羽田空港に行ってしまいました。土産物屋で妻はキットカットの醤油味と濃きなこ味を買っていました。空港にしては金額設定が良心的なカフェでボクはビールを、妻はカフェオレを飲みながらチップスをつまみました。本当は夜ごはんにおいしいものを食べたかったのだけど中途半端な時間にうどんを食べてしまったのでふたりとも空腹からはほど遠かったのです。
 8時発の最終便で富山に帰る妻と搭乗口で別れて電車に乗って家に帰ろうとしたら、最寄り駅の駅前でなにやら小さな山車みたいなのを引いたグループがいくつもいて、そのまわりに手に持った太鼓をドンドン叩いている人だかりが出来ていました。きっと毎年やっている何かのお祭なんだろうと思ったけど商店街の道幅を占領して祭に参加していない人が通れなくなっていることには無頓着だし、ここぞとばかりに我が物顔で練り歩くその集団を見ていると次第に嫌悪感が募ってくるのを感じました。自分たち集団の行動指針に従うのは良いけど、自分たちの集団に属していない人がいるなんてことにはお構いなしなのです。どうせなら『地元』の人じゃない人にも太鼓を叩かせてあげたりするような交流を持とうとすればいいのに、あれじゃたんに毎年同じメンツでその集団の中でしか通じない用語で喋ってるだけじゃないか、そしてそれが代々受け継がれていって永遠に同じことが繰り返されるだけじゃないかと少し残念に思いました……実際はぜんぜんそんなんじゃないかもしれないけどね。

1年ぶりの新大久保

 先週の水曜日の夜に大阪から上京してきた友人のFさんと新大久保で飲んできました。ボク自身、新大久保に行くのは去年の9月以来なので10ヶ月ぶりくらいでした。
 Fさんとは他の友人と一緒に6月に大阪で飲んだばかりでした。一泊二日の東京旅行の宿を東新宿に取っていたので新大久保はまあ近いし、ボクは仕事を終えて山手線で向かったので新大久保駅で待ち合わせをしました。新大久保駅に予定より少しだけはやくついたので電話をしたら、新大久保駅じゃなくて大久保駅に行ってしまったと言います。ボクもけして東京の地理に詳しいわけでもないし、新大久保に来るのさえ2度目のこと、新大久保と大久保がどのような位置関係にあるのかわかりません。とりあえず電話の向こうのFさんは『駅員に聞いたので新大久保駅へは行ける』というので、ボクもその言葉を信じて待つことにしました。
 それで新大久保の駅の改札を出たところで待っていたのですが、地図の看板があったので見てみたところ、新大久保駅と大久保駅はそれほど離れていないようでした。それと東新宿から新大久保駅を通り越して(に気づかず)大久保駅に行ってしまったということは、きっと大久保通りではなく職安通りを歩いたのだな、とかいろいろ推理しながらけっこうな時間が過ぎたものの彼女はまだやってきません。地図を見る限りではもう着いていてもよいだろうし、あるいはボクがあまりにせっかちなのだろうかと気持ちがぐらぐらと揺れながらもただ待つしかないことにはかわりがないのでただ待っていました。
 ようやくやってきたFさんは、ボクに気づいて手を振りながら笑っていました。その笑いは、自分の行動が自分の思い通りに行かなくておかしいなあというような種類の笑いに思えました。経緯を聞いたところ、大久保駅に着いてしまったところまではボクの推測通りだったのだけど、大久保駅の改札で駅員に新大久保駅への道順を聞いた後でその通りに進んで駅に着いたと思ったら再び大久保駅だったというので驚きました。道順を聞いたのと反対側の改札に到着したようです。それで少し時間がかかったのでしょうか。とりあえず新大久保の韓国料理屋に向かうことにしました。
 去年にはじめて新大久保にきたときに入った韓国料理屋でもらったチヂミの無料券がまだ手元にあったのでその店に行くことにしたのですが、無事無料券を使うことが出来ました。あとはサムギョプサルを頼んでひたすらビールを飲んでいました。Fさんはいつもひたすらビールを飲む人なのでボクも安心して好きなだけビールを飲むことが出来ます。こういう人ってなかなかいません。Fさんの今日一日の行動や明日の予定といった今回の上京の目的を聞いたり、ボクの子供の写真を見てもらったり、チョゴリを着たテディベアの人形をもらったり、あとは何を話したかあまり覚えてないけど昔話をしたのかなあ。Fさんと初めて会ったのはもうかれこれ10年以上前のことなのですが、あのとき箕面のダムに行ったっけ、とかそういう話をしていた記憶があります。途中で店を変えて、東新宿のバーでこれまたビールを好きなだけ飲んで、ちょうど持っていた MacBook で子供の写真を見てもらって帰ってきました。
 やはり大阪の人間は話がおもしろいなと再確認しました。「たとえ」でどれだけ遠くへ行けるかという跳躍力がやはり他の人たちとは違いますね。

東京飲みある記

 今週から再び大阪で仕事をしています。
 先週一週間の東京滞在中は半分以上の夜を飲みに出かけていました。
 T君と前回飲んだときもボクの会社の近くまで来てもらったのですが、水曜日も同じように来てもらって前回と同じ店で飲みました。なぜならとても安く飲めるからなのです。地球の環境問題について語り合い、最後はT君の家の近くのラーメン屋でつけ麺を食べて帰ってきました。深夜の1時くらいに飲んだあとでラーメンを食べるなんて『若い』ことをしたのは本当に久しぶりのような気がしました。まだ若い頃に苦労を共にした仲間だからか、T君と飲むとなんだか自分が若返ったような気分になります。簡単に言えば、『あの頃に戻った』ような気に。若返ったような気分になったからかどうか、T君の家の最寄り駅から自分の家まで歩いて帰りました。30分くらいで着いたので意外と近かったです。
お好み焼き 木曜日の夜は1ヶ月くらい前まで期間限定で今の会社で働いていたインド人のプログラマーのRishirajさんと同僚のデザイナーのnaeさんと3人でお好み焼きを食べに行きました。会社で隣の席に座っていた頃から彼にはお好み焼きをぜひ食べてもらいたいと思っていたのだけど4月末に会社との契約が終了し、ボクはボクでゴールデンウィーク明けから大阪で暮らすことになったので漸くの実現となったのです。秋葉原の風月に行ったのですがお好み焼きと焼きそばと鉄板焼を注文して、お好み焼きが一番のお気に入りということでした。ボクはそのちょうど一週間前に大阪でお好み焼き屋をハシゴしたところだったのですが(風月にも行った)、まったく飽きません。Rishirajさんは日本語があまり出来ないので会話は英語になるのですが、インド人の英語は早口で文章の切れ目がわかりにくくて聞き取りにくいとトロントに留学していた頃に経験していた妻から聞いたとおり、Rishirajさんの英語も最初はかなり聞き取るのが難しかったです。少しは慣れたのか、あるいはRishirajさんが少しわかりやすく喋ってくれているのかもしれません。naeさんも最初の頃はボクがほとんどそっくりそのまま日本語に訳して伝えていたのですが、なんとなくわかるようになってきたというからすごい。手相を見ることが出来ると言うので見てもらってたのですが、ときどき自分自身の手をごそごそしたりするので空中から粉でも取り出すのかと思ったりしました。
 日常生活では英語を読んだり書いたり聞いたりする機会はあっても喋る機会がなかなかないので、Rishirajさんと話をするのはなかなか楽しいです。文化の違いについて語り合うことが出来るのは楽しいです。それが当然だと思っていて疑問を抱く機会がない自分が属する文化について、改めて問いを持てる機会が与えられることは有意義でしょう。
 ボクがまた東京に戻ったら、今度はRishirajさんがインド料理の店に連れて行ってくれるということで今からけっこう楽しみです。

今週は東京で飲み歩きます

 今週は東京に滞在しています。
 ゴールデンウィーク明けから大阪で仕事をしているのですが、朝7時過ぎに起きて朝食を摂り、妻の出勤と一緒に家を出てそのまま1時間走って汗を流してから日中は仕事を、夜ごはんも家で妻と摂るというとても家庭的な生活を送っています。今年の1月2月と大阪にいたときと同じような生活を送っています。
 約3週間ぶりに東京の会社に出社すると同僚のみなさんからは痩せた痩せたと言われました。ゴールデンウィークからすると体重はほとんど変わっていないのですが、今月はわりかししっかりと走り込んだのと、これまでよりも筋トレに力を入れてきたので、最近は水泳にも手を染めはじめたし、筋肉がつき始めてきたのかもしれません。それにまあ、たしかにジーンズのサイズは1インチさがって29インチとなりました。
 今週末にふたたび大阪に帰ってしまうと次に東京に戻ってくるのは2ヶ月後くらいになる予定です。しばらく時間が空くので、という理由で今週は火曜水曜木曜と飲みに行く予定で埋まっています。さっそく今夜は会社の若手の同僚と楽しいお酒を飲んできました。ボクはどこへ行っても愛想が無くて恐そうな人という第一印象を抱かれがちなので、ときにはそのような期待にお答えしようとすることもあります。そういう第一印象を伝えられるのにはもうすっかり慣れてしまって飽きてしまったけど(そんなのもう大学の頃から言われ続けている)未だに言われるということはある一面ではボクはほとんど何も変わっていないということなのかもしれません。じゃあ他の面がどの程度変わったのかと問われると、こちらは体型みたいにパッと見て判断出来るものではないので答えに窮するわけですが。
 ともかく、今回の上京はあらかじめそのような予定で埋まることがわかっていたのでジョギング道具(靴とかパンツとかシャツとか)は持ってきませんでした(また妻のアドバイスに従って鉄アレイも持参しませんでした)。走る暇がないからですが、筋トレする暇はあるので腕立て伏せやら腹筋やらを続けています。最近ようやく腕立て伏せをするのが少しずつ楽になってくるのを実感出来るようになりました。数ヶ月前にも腹筋をするのが楽になってくるのを感じたものですが、腕立て伏せはずっと苦手だったのです。辛抱強く続けてきた成果が現れ出す瞬間には得も言われぬ何ものかがありますね。

3週間ぶりのジョギング

 今日は久しぶりに多摩川沿いを走りました。3週間前に大阪で走ったきりで、その後、花粉症の症状に苦しめられることになり走ることが出来ませんでした。習慣的に走るようになった今年の初めから、3週間も走らなかったのは初めてのことでした。なのでいろいろと不安もあったしもちろん日常的な習慣となっていたことを外的要因で絶たれることにストレスを感じてもいました。その中でも一番心配だったのは体重を維持できるかということでした。1ヶ月100キロペースで走っていた分の消費カロリーをどこか別のところで消費しないといけないと思っていたのですが、実際は筋トレを少し増やしてあとは出来るだけエレベータやエスカレータを使わずに階段を昇るようにしたくらいです。食事は走っていたときに食べていたのと同じくらいの量は食べていたし(以前と比べると少ないけど今ではそれで満足出来ている)、それで体重は現状維持を少し下回るくらいで推移していました。
 ここのところずっとのどの痛みに苦しめられていたのですが昨日くらいからようやく咳も止まり始めて(寝る前になると相変わらずゴホゴホいってますが)、今日は曇り空だったけど雨はなんとか地上に降り注ぐ誘惑に立ち向かっていたし、花粉の飛散量も少なかったようなので思い切って走りに行ったのです。3週間ぶりのことだったのでいろいろと忘れていることがあって、走る前にプロテインを飲むのを忘れそうになったし、実際には準備運動をするのをすっかり忘れてしまいました。いつもはそういうことを暗闇の中で目を瞑っていても手を伸ばすだけでつかめるかのように家を出る前に済ませていたのですがね。いつものペースで走り始めたのですが今日は40分強でばててしまいました。帰りは汗をかいた体が冷えてとても寒かった。今日は気温が低かったのか肌寒いくらいでしたが、走った後に汗ごと冷やされたときは本当に寒かったです。家に帰ってきてお風呂に入ってしばらく手がかじかむのをほぐしてからじゃないと足のマッサージが出来ませんでした。
 これで花粉も落ち着くんでしょうか。いつも見ている Yahoo! の花粉情報を見る限りでは上下しながらも下降傾向にあるみたいですが、雨の日は飛散量が少ないと思うので単に天気の悪い日が続くだけということかもしれません。いずれにせよ雨が降っても花粉が多くても走ることが出来なくなるわけですが。

東京の街を散歩しました

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 最近は隔週で大阪の妻の元に帰っているのですが今週末は『帰らない週』です。この前の『帰らない週』は花粉症と風邪にやられて家でおとなしくしていたと記憶していますが、あれから2週間経ってだいぶ調子も良くなってきました。会社の近くの耳鼻咽喉科で処方された薬を毎日律儀に飲み続けたおかげで体はだいぶ快復するにいたり、薬がなくなったので病院に行こうと思っていたのが金曜日はあまりにも仕事に夢中になってしまって(冗談のように聞こえるかもしれないけど本当なのです)気がついたら6時を過ぎてしまってました。土曜日は午前中だけ診察しているということだったので、でもそれだけのために会社の近くまで出てくるのもなんだかもったいないから、それじゃあ前から行きたかったStanley Donwoodの個展にも行くことにしたのです。
 そういう心づもりで金曜日の夜に眠りに落ちたわけですが、内容は思い出せないけどもう一度その中に戻っていきたいような夢を見てしまったがために、土曜日の朝9時くらいに一度は目が覚めたものの、次に目覚まし時計を見たときには時計の針はすでに午後を指し示していました。そういうわけで港区の耳鼻咽喉科に薬を貰いに行くのを諦め、あらためて東京画廊で開催されてる Stanley Donwood の個展の情報を調べてみたら今日か再来週の土曜日にしか行くことが出来ないことがわかり、再来週の土曜日は個展の最終日なので、念のために今日行っておいた方が良いと思ったので今日行くことにしました。
 週末に都心に出かけるのはもうかなり久しぶりのことです。そもそも会社以外の場所に行くことすら久しぶりです。週末に東京にいて買い物に出かけるとしても都心には行かないですから。地下鉄で新橋に出て、新橋は何度か来たことがあったのでそのときの記憶と東京画廊のサイトにあった地図を頼りにしてたどり着きました。個展はとてもあっさりしていて、20数点くらいの作品を無料で見ることが出来ました。ボクにとって Stanley Donwood はまずは Radiohead のアートワークを手がけているという存在ですが、Radiohead の音楽からボクが感じることと似たようなことを彼のアートワークからも感じています。現代人の閉塞感であったり、悪の存在であったり。余裕があれば絵を購入して部屋に飾りたかったのですがそんな余裕はないのでパンフレットを少し多めにいただいてきました。
 それからせっかく都心に出てきてそのままトンボ返りするのももったいないなと思ったので、新橋から有楽町まで歩いて無印に行くことにしました。なんとなくこっちかなという方向に歩いていたら途中で自分では北に向かって歩いているつもりが実際は西に向かって歩いていることに気がつきました。今来た道を戻っても良かったのだけど、とくにどうしても有楽町に行かないという理由もなかったので東京の道を好き勝手に歩いてもかまわないんだという思いもあって、でもただじゃあ本当に好き勝手に交差点に出くわすたびにあっちこっちに曲がるのかというとそうすることにもあまり魅力を感じず、それじゃあやはり目的地は有楽町にして今来た道は戻らずに行こうと思って再び歩き出したら日比谷公園の横を通ることになりました。煉瓦造りの建物が見えたので写真に撮って帰ったら日比谷公会堂だった。
 東京に引っ越してきて9ヶ月ほどになりますがほとんどどこにも出かけていません。東京の街のことをほとんど何も知らない。休みの日に人の多い繁華街に行く気はおきないけど、ただ歩くのは好きなので、今日のように知らない道を歩くのは楽しいかもしれないと思いました。

花粉症という地獄

 例年にないくらい今年は花粉に苦しめられております。とくに先週の月曜日と火曜日はひどいものでした。ボクの場合、花粉症の症状と言ったら目が痒くなるとか鼻水が止まらなくなるとか上顎の奥の方が痒くてたまらなくなるとかそれくらいの(しかし当事者にしてみれば多すぎるくらいの)ものだったのですが、先週初めにボクを襲うことになったのは激しいのどの痛みでした。風邪をひいたときみたいにのどが痛くてどうしようもなく、でも実際は風邪じゃない(と思う)ので風邪薬を飲むつもりもなくて、花粉症用に買った鼻炎カプセルの効能には『のどの痛み』も含まれているのに症状がまったく緩和されないのです。
 先々週の金曜日に有給を取って4連休を大阪で過ごしたのですが、そのときはマスクをしていただけで薬を飲む必要もありませんでした。そのマスクだってたぶん外しても大きな問題にはならなかったと思います。無防備で表へ出ることへの恐怖から付けていただけのようなもので、家の中では付けてませんでした。一方、東京ではほとんど一日中マスクを付けています。お風呂に入っているとき以外は寝ているときも含めてマスクを付けています。それでものどの痛みは緩和されません。
 潔く薬を飲むようになってからは鼻水に悩まされることもなくなりました。空気清浄機も購入したし洗濯物は部屋干しにしたし帰宅時は念入りに花粉を持ち込まないようにし持ち込んだものも空気清浄機と花粉用のスプレーで除去するようにしたので家の中の花粉の量は劇的に減ったと思います。薬の効き目もあると思いますが家の中でくしゃみが出たり鼻水が止まらなくなったりするようなことはなくなりました。それはとてもうれしいことなのですが、外に出てジョギングできないのがそろそろストレスになりつつあります。先々週の金曜日に大阪で1時間ほど走ったきり、東京に戻ってきてからは一度も走っていません。戻って来るなりのどの痛みに襲われ、薬を飲むようになってからは一日中頭がボーッとしているような気もします。それでもこの週末は勇気を出して走ってみようかと思ったけど土曜日はなんだか体がだるくて花粉も多そうだったし、日曜日の方が花粉が少ないというので昼から走りに行こうと思ったら雨が降ってきたので走れませんでした。もうこうなったら花粉がおさまるまで慌てず騒がず待つしかないのでしょうかね。花粉症のランナーたちはこの時期どのようにして走っているのでしょう。ジムに通ってプールで泳ぐような贅沢もしたくないし、普段より筋トレを欠かさないようにするしか出来ません。
 花粉情報を見ていると常に東京の方が大阪よりたくさん花粉が飛んでいることにもまた憤っています。わざわざ花粉の多い地域にボクは出てきたのかと思うと何とも言えない無常観にうちひしがれてしまいます。これじゃあわざわざ花粉を吸い込みに来たようなものじゃないか、と。
 そんなわけでただでさえ気が立っているしのどが痛くて出来るだけしゃべりたくないので、無意味なことで話しかけられるとそれだけで殺意を感じてしまうようなボクをこの季節だけは許してください。

友人との語らい

 先週の金曜日の夜、久しぶりに会う友人と会社の近くで飲みました。彼の会社とボクの会社とは地下鉄で2駅の距離だそうです。ボクの会社の最寄りまでご足労いただきました。
 最初に就職した会社に在籍していた3年もの間、様々な苦労を共にした仲間です。退職後、ボクは大阪の会社に再就職し、その数ヶ月後に彼は東京の会社に再就職しました。お互いに別々の会社に移ってからも大阪や東京で何度か会ってはいたのですが、最後に会ったのは去年の春の京都での彼の結婚式だったのでけっこう久しぶりです。お好み焼き屋と居酒屋をはしごして久しぶりにゆっくりと話をしました。
 お互いに歳を取ってから東京に出てきたこともあって、また結婚をしたこともあってか、いつ東京を離れるかという話題になりました。ボクはこの1月と2月のほとんどを大阪で過ごしてあらためて大阪で生活することの居心地の良さというようなものを再認識するに至ったわけですが、だから出来るだけ早く大阪には帰りたいと思っています。いろいろ事情があって今すぐにというわけにはいかないし、今こうして東京に単身赴任しているのにはそれなりの理由もあることだし。彼の場合は奥さんも関西出身なのでまた事情は違うのでしょうが、うちの場合は妻は北陸出身なので大阪に戻るか北陸に住むことになるのかはまだわかりません。とにかくお互いにこのまま東京に住み続けるつもりは毛頭ないという意見で一致しました。
 今の仕事の話なんかも少しはしました。彼の最近の仕事にとても興味を持ったので、来年はよろしくお願いします(どっち側のお願いなんだろうか)。
 関西出身のお笑い筋肉のある人と話をするのも久しぶりだったのでとても楽しかったです。またいつものように思い出話に花が咲いてしまいました。お互いにしばらくは東京にいるのでちょくちょく飲みに行きたいなと思いました。また50円の魚肉ソーセージをつつきましょう。

東京に戻ってきました

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 昨日、大阪から東京のマンションに戻ってきました。年始から2ヶ月弱を大阪で過ごしたことについてはいつかきちんと書ける日が来ると思うのでまたそのときに書きます。
 東京に戻るに際し、年末に大阪に帰って以来なので郵便受けはどうなっていることやら(郵便局には不在届けを出していたけど直接入れられるチラシとか)、部屋は埃だらけなんじゃないか(風呂とトイレの換気扇を回しっぱなしにしていたので空気の入れ換えは出来てたはず)、はたまた1月の下旬くらいにふと思い出した台所の引き出しに入れたままの食パンはどうなっていることやら(しかもまったく手を付けていなかった)とかいろいろと心配な点はあったのですが郵便受けは特にはみ出すことなく内部におさまっていたし、部屋の埃はなかなか掃除しなかった去年と比べて何が違うねんというものだったし、手つかずの食パンは袋ごと捨てれば良いだけでした。
 そういうわけで再びひとり暮らしのスタートです。しかし今年のボクはジョギングと筋トレという習慣を手に入れてパワーアップして帰ってきたので、さっそく今日の夜、はじめて東京の街を走りました。 nike+

走ることについて

 今年に入ってから、正月に妻の実家に帰省した期間を除くと、半年ぶりに大阪で生活をしています。
 大阪で生まれてから32年間ずっと大阪で生活をしてきたわけですが、仕事の関係で32歳の誕生日の直後から東京での生活を余儀なくされました。たまたまボクの32歳の誕生日に妻と入籍したので単身赴任となったわけですが、半年の単身赴任の間も隔週くらいで大阪と東京を行き来するような生活を送っていました。この半年でかかった交通費の数値と言ったら! 天文学的とまでは言わないけれど、けして見過ごすことの出来ない額ではあります。
 今は在宅で会社の仕事をしているのですが、東京へは今月末までに戻る予定でいます。東京に戻ったら単身赴任生活に逆戻りなので戻りたくないのですが、このような形でこのままずっと仕事するわけにもいかないのです。大阪で仕事が見つかって働けるようになれば大阪で生活することが出来るわけですが、今の段階では今の会社で働くのが良いと妻からも言われましたしその意見にボクも納得がいきました。
 しかしまあ、大阪での生活は充実しています。充実していることもここを離れたくない理由のひとつです。

 隔週で大阪と東京を行き来しているボクたち夫婦ですが、先週末は妻が東京に来る番でした。偶然にも金曜日に東京への出張が入ったとのことで幸運にも今回は交通費会社持ちだったのです。
 会社を7時に出て最寄り駅で合流しそのままどこかへ食事に行こうかとも思ったのだけど、妻は出張で疲れていたし次の日もいろいろ行くところがあったのでひとまず家に戻って近所の中華料理屋にでも行こうということになりました。というのも妻はその店に前から行ってみたいと言っていたのです。その店は駅からの帰り道沿いにあるのですが、その中華料理屋のシャッターが降りていることにまず妻が気付きました。シャッターに張り紙がしてあるようなので近づいていって見てみると、11月1日から15日まで休むと書いてある。事情はわからないけど何というタイミングの悪さ。それで仕方なく(というわけでもないのですが)その隣の焼き肉屋に行くことにしました。何度もその店の前を通ってきましたがあまり繁盛しているという印象はありません。あまり客の入っていない店に入るのはいつだって躊躇するものですが、そのときも少し躊躇しながらも入らないことにははじまらないと思い切って飛び込みました。
 店内には人がひとりもいなくて奥から女の人の声が『今すぐ行きます』と言うのが聞こえてきました。店の中は昔トロントに留学中の妻を訪ねていったときに入ったコリアンタウンの韓国料理屋をどことなく彷彿とさせるものでした。店はおばさんひとりでやりくりしているようでした。ボクたちが料理を注文したあとでもう一組客が入ってきたのでとても忙しそうだった。よくわからないけど知り合いらしき女性が子供を抱いて訪ねてきて、ボクが追加の注文を頼もうとおばさんを呼ぼうとしたらかわりにその女性が子供を抱いたまま注文を聞いていました。ボクたちは焼き肉のセット(肉、サラダ、キムチ、ナムルのセット)と豚キムチとチヂミを頼みました。どれもとてもおいしくて、ボクは家の近所にこんなにおいしい店があったのかとこれまで一度も足を運ばなかったことを後悔するのでした。

映画とテレビドラマ、大阪から東京へ

 珍しく早起きしたので朝からコーヒーをいれてみたんだけどコーヒー豆が新鮮じゃなかったみたいで少しだけ残念な気分になりました。しばらくはこのコーヒー豆でコーヒーを作って飲まないといけないのでガマンして飲むことにします。はやくこのコーヒー豆を消費してしまって、次に買うときには鮮度を優先度高にして豆を選びたいと思います。

 大阪に帰っていた先週末の日曜日は明け方近くにカラオケから帰ってきたので昼過ぎまで眠りました。午後もなんとなくゆっくりと過ごして出かけたのは夕方近く。梅田に出て買い物を済まし、久しぶりに妻と映画を見に行きました。パンズ・ラビリンスという映画を見てきたのですがなかなかおもしろかった。現実と空想の世界というテーマは取り立てて新鮮ではないと思うけど、そこから目をそらしたかったはずの辛く厳しい現実と対比されるべき空想の世界も映像的にはなかなかグロテスクで現実と同様に辛く厳しいものだった。まあマッチョな男が傷つけられるのを見るのは爽快だったし、空想の世界のはずなのにやけにリアルで気持ち悪いくらいの妖精の描き方も興味深かった。
 歯が痛かったので帰りに薬局でバファリンを買ってさっさと家に帰りました。

 月曜日は妻は仕事。ボクは東京に戻るのを月曜の夜にするか火曜の朝にするかでまだ迷っていたけど、昼過ぎに起きだしてテレビを見ながらのんびりしているうちに火曜の朝に東京に戻ることにして、夜ごはんを作ることにしました。夕方に近所のスーパーで買い物をして豚肉とイカとキムチを炒めました。なかなかおいしかった。
 妻が寝たあとでテレビの深夜番組を見ていたら私の名前はキム・サムスンをやっていた。最後まで見たかったけど次の日は早起きしないといけなかったのでテレビを消し眠りにつきました。
 火曜の朝は妻と一緒に家を出て途中で妻とわかれボクはそのまま新大阪から新幹線で東京に移動し会社に行きました。新幹線では途中までは起きていたけど後半は完全に眠ってました。

妻の実家の法事

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 先週末、妻の祖父の法事のため実家のある富山へ行ってきました。法事は日曜日にあったのですが、ボクたちは土曜日のうちに富山に行っておくことにしたので、その前日の金曜の夜、仕事を終えたその足で大阪に帰ることにしました。大阪に帰るチャンスがあれば極力逃さないようにしようと思っています。
 そのようにして金曜の夜に大阪に帰ったら富山から妻の妹の友達が大阪に来ているという。土曜日に大阪であるライブに妹と一緒に行くためというのが理由らしくて、ボクは新幹線では何も食べなかったので4人でファミレスに食事に行きました。近くのテーブルにいた男女2人連れの客をネタにあーだこーだとあることないこと言ってるうちに(そのうちのいくらかは当たっていた)お腹もいっぱいになったので帰って寝ることにしました。
 土曜日の昼に梅田でお好み焼きを食べてからサンダーバードで金沢へ。妻のお母さんが車で迎えに来てくれました。実家に着いて夜ごはんに寿司を食べながらテレビを見たりして、大阪から最終のサンダーバードで帰ってくる妻の妹とその友達を迎えに金沢へ向かいました。ボクたちの方が少し早く着いたので閉店間際の駅前のスターバックスで温かい飲み物を買ったのだけど、ボクだけが半袖で冷たい飲み物を買った。みんな寒いと言うけどボクにはちょうど良い気候だったのです。
 妹と友達を乗せて実家に戻り、次の日の法事に備えて念のため礼服に袖を通してみる。最後に使ったのが今年の4月だったの思うけどそのときよりもウエストは成長していたようです。でもまあ無事入って良かった。

 10時から法事だったので8時過ぎくらいに起きました。朝ごはんを食べて、着替えてとしているとあっという間に時間に。小一時間くらい正座していたら足はすっかりしびれてしまいました。法事の後の食事会をやまびこ荘というところでやるらしく、なんとマイクロバスの送迎付きでした。というわけでバスに乗ってやまびこ荘へ。控え室と食事をする部屋とが貸し切られていました。
 法事ということで妻の親戚の方もいたので、また結婚祝いをいただいたりもしていたので、そのお礼も兼ねて結婚の報告なんかをしたりしました。真面目に挨拶したらあとで妻のお母さんに『オチがなかったね』と言われてしまったけど……。料理もおいしくてひたすらお酒を飲んでいました。見聞が広くて話のおもしろいおじさんがいたので退屈することはなかったです。3時くらいにお開きとなって再びマイクロバスで家に戻りました。
 やっと服を着替えて楽な格好になり、しばらくは親戚のおじさんと世間話をしていたのですがおじさんたちが帰って行って妻のおばさん夫婦とその子供(妻のいとこたち)だけが残り、ボクたちはその日のうちに大阪に帰ろうかと思っていたのだけど、いとこのうちの唯一の男の子がホッケーの選抜試験で神奈川の方へ行っていて夜に戻ってくるというので大阪へ帰るのを次の日に延ばすことにしました。それでどういう話の流れかわからないけど夜ごはんにパエリヤを作ることになって材料を買いに近くのスーパーへ。サングリアを妻の妹が作って、パエリヤはボクと妻とで作りました。両方ともまあまあおいしく出来たんじゃないかと思います。選抜試験に行っていたいとこも帰ってきて話を聞いたのだけど結果はまだ出ていないということでした(これを書いている今でもまだ出ていないのかな?)。

 月曜日の朝は早起きして大阪に戻ることにしました。金沢の駅についてボクと妻は切符を買いに、妹とお母さんがスターバックスで飲み物を買いにと二手に分かれ、最後は走ってギリギリサンダーバードに乗ることが出来ました。指定席の車両とは違う車両に飛び乗ったので電車の中を歩いていたのだけど、ある車両と車両の間が通れないということでしばらくは自由席に座っていました。少しして通り抜けられるようになったので自分たちの席へ。その車両には子供連れが多くてわりとにぎやかだったのですが、普通は子供が泣き出したら親がまわりの人に気を遣って子供を抱いて車両の外に連れ出したりするものだと思っていたのが、ちょうどボクたちの後ろの席の親はそのような考えの持ち主ではなかったようでたいへんうるさかった。マナーの悪い親だったのだけど、それでもボクたちは眠くてほとんど寝ていました。
 大阪について、薬局と阪神百貨店で少し買い物をして家に帰りました。3人でビールや杏酒を飲んで、夜ごはんにはボクが見様見真似でホワイトソースのパスタを作りました。まあそれなりにおいしかったです。
 で、最終かその一本前の新幹線でボクはひとりで東京に戻りました。戻りたくなかったけど戻らないわけにはいかなかったので。

墓参りと祖母の家

 音博の前日の土曜日に梅田でオイスターバーに行ったことを書くのを忘れてました。生まれて初めてのオイスターバーで食べた新鮮な生牡蠣は聞いていたとおりクリーミーでとてもおいしかったです。梅田といえば前職の職場があった場所なので久しぶりに入ったカンテみたいな店が新しい職場の近くにもあればなあと思ったのでした。ホントによく通っていたからね。連日行くこともざらにありましたから。

 音博の次の日は妻とふたりでボクの祖母を訪ねました。お盆に行くことが出来なかったので、お墓参りも兼ねて行くことにしたのです。
 家を出たのが遅かったのと、お墓参りの道具(ロウソクや線香や)や祖母への手みやげにドーナツなんかを買っていたら夕方くらいになってしまいました。雨がポツポツと降り出した中を妻とふたりでお墓の掃除をしてロウソクと線香に火を付けてとしているとなんだか不思議なもので自分が結婚したのだと再認識させられました。
 お墓を出て近くに住む祖母の家へ。妻を祖母の家に連れて行くのははじめてでした。ひとりで暮らしている祖母は膝が悪くて歩くのもおぼつかないのに、ボクたちふたりに冷蔵庫から缶コーヒーを出してきてくれました。ボクたちは仏壇に手を合わせて祖父に挨拶をし、手みやげに持ってきたドーナツを3人で食べながらなんともつかない世間話をぽつりぽつりとしていたのですが、どういう話の流れからかボクの昔の写真を見ることになってそれからは箪笥の中にしまってあった写真を片っ端から見ていきました。ボクの小さな頃の写真なんてそのうちの数枚しかなかったのですが、それらの写真を見ているうちに祖母は祖父とけっこういろんなところに旅行に行っていたのだということを知りました。いろんな風景を後ろにしていても常にふたりで並んでこちらを見ている祖父と祖母を写真の中に見ていたり、また祖母と妻が話しているのを聞いていると妻を祖父に一度も会わせなかったことを少し後悔しました。そのときも3人で話したのだけど特に祖父は孫の中でもボクをかわいがってくれたので、その祖父にボクは何も返すことが出来なかったんじゃないか。
 祖母の家をあとにするということは祖母をひとりで残していくことを意味していたのだけど、それでもずっといるわけにはいかないので正月には必ず来ると約束をして(それまでにも行けるなら行こうとは思うけど約束は出来なかったから言わなかった)あとにしました。ボクはその日の夜に東京に戻れれば戻ろうと思っていたのですが、思っていたより時間も遅くなってしまったし家に戻ってからもやらないといけないことがあったので(荷物の整理をしないといけなかった)東京へは次の日の朝に戻ることにして祖母の家からの帰り道の途中にあった焼き肉屋で夜ごはんを食べました。チェーン店のオーダーバイキングの店だったのですがなかなかおいしかったです。
 家に帰ってから妻の祖父の法事で必要なネクタイを探したのですが見つけることが出来ず、諦めてビールを飲んで寝ることにしました。ネクタイは結局それから数日後に妻があっさりと見つけてくれたのですが、そのときボクが何度も見た衣装ケースの中にあったそうです。おかしいなあ。何度も見たはずなのに。

 次の日の朝、妻と一緒に家を出て梅田に向かう電車の途中の駅で妻は乗り換えていきました。ボクは新大阪を出た瞬間に眠りに落ちたので一瞬にして大阪から東京に移動するという感覚を味わうことが出来たようなわけです。

 物事を順序立てて辿っていかないと気が済まないという性格がすべての面において発揮されていればなあと思わないことはないわけだけれど、思わぬ方面で発揮される場合がある。とくにこのブログがそうで、物事を時間軸に沿って書かないと気が済まない、先々先週の週末に起こった出来事をまだ書いてもいないのだから、昨日今日見聞きしたこの不条理を書くわけにはいかないのです。いくら書きたくて書きたくて仕方なくとも書くわけにはいかないのです!
 というわけで、先々先週の3連休最終日、9月17日にボクが何をしたかを書きたいと思います。

 土曜日の朝に1ヶ月ぶりに東京で再開した妻は月曜日の昼過ぎ夕方前の新幹線で大阪に帰っていきました。新幹線の時間があったので無理して出かけることもないと思い、昼食を近所のモスバーガーで済ませて部屋で DVD を見ながらゆっくり過ごしました。見たのはあらしのよるにというアニメ映画。なぜこの映画を見たのかはわからないけど、率直にいえばけして悪いものではありませんでした。あまりにもナイーブすぎるし世の中がこのように成り立っているとはけして思わないのだけど、しかしある種の希望を表現しているとは思う。それが現実的であるかどうかは別としても。
 大阪に帰る妻を品川まで送って、スターバックスで休憩してから駅の中の ecute を物色したりお土産を買ったりしてからいよいよお別れの時間が来たのでボクは再びひとりぼっちになりました。ひとりぼっちになったついでに秋葉原のヨドバシカメラに DVD-R を買いに行きました。秋葉原の駅でヨドバシカメラと反対側の改札から出てしまったというロスを除けば最短距離で買い物を済ませ家に帰れたはずです。新しい iPod を見たのも少しだけだったのでたいしたロスになっていないはず。

 そのようにして1ヶ月ぶりに再開した妻との時間は幕を閉じました。次は1週間後、今度はボクが大阪に帰ります。その3連休のことも書かなくちゃ。

東京タワーとコリアタウン

 妻が東京にやってきた2日目は昼から東京タワーへ向かいました。通勤途中に東京タワーが見えるのでその存在に馴染みはあるつもりなのですが、一度も登ったことがありません。そんなことを言い出せば、大阪に32年間住んでいたけど通天閣に登ったこともありません。ああいうのはきっと他の地方から来た観光客向けの存在であって地元の人は近づかないものなのだと思ってきたのですが、そして今でもそう思っているのですが、東京に住んでいるとはいえやはりボクは他の地方から来た観光客(という言葉が馴染まないなら長期滞在者と言おう)みたいなものなので東京タワーに登るという行為には何の疑念も抱かないのでした。
SBSH0008.JPG いつもの通勤電車の路線を妻と辿り、いつも降りる駅をひとつ通り越した駅で降りて地上に出るとなにやらにぎやかな音が聞こえてきます。何かのお祭りが行われていたようですが何のお祭りかよくわからなかった。東京の文化には馴染みがないのです。ラジオ局が中継をしているのか、スピーカーからラジオのアナウンサーの声が鳴り響いていました。
 東京タワーまでの道のりは意外と長く、そして気温はあきらかに高かったので汗だくになりました。東京タワー自体は見えているのですがなかなかたどり着かない。それはおそらくそれが大きいからだろうと妻と話しながら、途中のお寺か神社で写真を撮ったりしながらようやくたどり着くとエレベーターに長蛇の列が。エレベーターで展望台まで上がろうとすると1時間待ちだというので階段で歩いて上ることにしました。体力に幾分不安があったものの1時間もエレベーターを待つ列に並ぶつもりはさらさらなかったし、公式に階段で上るという手段を提供しているということは常識の範囲内なのだろうと信じたわけです。結論はまあ常識の範囲内だったし途中で何度も休憩を挟んだけど展望台まで階段で上がることが出来ました。次の日になるのを待つまでもなく膝はすでにクスクスと笑いはじめていて汗もとまらなかったけど上りきったところで階段で上ったという証明書をもらいました。展望台も多くの人で混雑していました。ぐるっと一周してみたのだけど天気が良くなかったのであまり遠くまでは見えなかった。喫茶店でソフトクリームを食べて再び階段で下りました。
japan sucks 大道芸人がマジックをしていたのを少し見てから、経済館とかとうけいプラザを見て回り、一か八かでトリックアートギャラリーに入ってみたら意外と楽しむことが出来ました。ろう人形館は非常にB級感満点で、ギネス ワールド レコード ミュージアムは展示が多すぎて疲れました。その間も膝はクスクスと笑い続けていたわけです。妻が大阪にいる妹にお土産を買い、当初の予定では六本木ヒルズで映画を見るつもりだったのだけど東京タワーで思っていたより時間を使ってしまったので今回はパスすることにして、夜ごはんを食べに新大久保の韓国料理店に行くことにしました。
지짐이 地下鉄の東新宿から歩いていったのですが JR の新大久保からの方が近かったかも知れません。東京に来てからこうして出かけることがほとんどなかったので家と会社の往復以外の路線に乗ったこともほとんどないのです。ともかく店(韓国家庭料理 元祖ヤンピョンヘジャンク)に着くと韓国語で出迎えられ大きめのテーブルに案内してくれました。サムギョプサルとチヂミとスンドゥブチゲなどを注文したのですが、どの料理もおいしかった。とくにチヂミは海鮮チジミを頼んだのですがこれまで食べたことのない味で絶品でした。この絶品のチヂミが前日食べたあのもんじゃと同じ値段かと思うと……。とにかくおいしいものを食べることが出来て2人とも幸せでした。帰りに海鮮チヂミの無料券をもらったので必ずまた行きます。店を出て JR 新大久保駅まで韓国料理屋が並ぶ通りをぶらぶらと歩くことにしました。途中で韓国グッズ屋みたいなところで自分の分と友達の分のインスタントのトッポッキを買ってました。
 東京に来て一番美味しい食事だったと思います。

1ヶ月ぶりに妻と再会して。

 しばらくまともにブログを書く時間もありませんでした。
 しかし! これからはまた元通りこのブログで、greenplastic.net で日常を綴っていきたいと思います。少なくとも未来の自分たちと現在の自分にとってこれが意味のあることだと信じているから。

 ともかく。

 ここしばらくは基本的には仕事に忙しい日々を送っていました。仕事に関しては以上。
 先週の週末3連休は休みをもらって上京してきた妻と1月ぶりの再開を果たしました。なんて言ったってお盆以来ですからね。久しぶりの休日と、久しぶりに会う妻と東京観光を楽しむことが出来ました。

 妻は土曜の朝の新幹線で大阪から東京にやってきました。ボクは前日の夜も相変わらず仕事が遅くて終電に間に合わずになるべく家の近くにたどり着くようにと歩いて20分か30分くらいの別の路線の駅までようやくたどり着けたくらいだったので、妻が予約していた早朝の新幹線に間に合わなかったので予定より少し遅れるというメールのやり取りをしたあとでまた眠りに落ちてしまい、次にボクを眠りから冷ましたのは妻が鳴らした部屋のベルの音でした。これほど素敵な目覚めはこの1ヶ月ありませんでした。ボクは起きたばかりだったのでまず出かける準備をし、その間に妻がボクの体を気遣って家の近くで鍼灸院を探してくれました。その近くでよさそうなイタリアンの店も見つけてくれたので隣の駅まで電車で行ってから目的の店を探したのですがすんなりとは見つけることが出来ず、そろそろ見つかってもよい距離なのになと思っていたらちょうど前日の夜に終電を逃したおかげで歩くはめになった辺りだったので自分たちが目的地を通り過ぎていたことに気付くことが出来たのでした。終電を逃すことにもなんらかの意味があるとでもいうのでしょうか。
 携帯電話で地図の画像を持って行っていたので、イタリアンの店と鍼灸院はそれからすぐに見つかりました。こぢんまりとしたそのイタリア料理屋はその時間は料理人が1人と注文を聞き料理を運ぶ男性が1人の2人で切り盛りしていました。こぢんまりとした手作りの暖かみのある店内と同様、料理もとてもシンプルで好感の持てるものでした。ボクはちりめんじゃこを使ったオイルベースのパスタを、妻は子羊を使ったボロネーゼのフェトチーネを頼みました。妻は食後のデザートにゼリーを頼みました(それしか残ってなかった)。隣の席の少なくともボクたちよりも年齢が上に見える男女の客は辞意を表明したばかりの総理大臣の次のポストについて何やら話していました。
 鍼灸院を予約した時間まで30分くらいあったのであたりをぶらぶらしようかとも思ったのですが、妻が時間を早められないかと鍼灸院に電話をしてくれたので(そして OK だったので)そのまま鍼灸院に向かいました。イタリア料理屋を出て横断歩道を渡ってすぐ、歩いて3分くらい。マンションの一室にある個人経営の鍼灸院に入るとまず基本的な症状などについてのアンケートに答えさせられました。個人経営なので一度の施術できるのは1人、ということでボクが先に受けることになりました。家の出る前にネットで見ていた写真とたしかに同一人物なんだけど、写真からイメージしていた物静かな感じとは対称的に実際に会ってみるととてもエネルギッシュな印象を受けました。マッサージと鍼の施術を受けた結果、とにかくボクは普通の肩凝りというのではなく目が疲れているそうです。目の疲れからくる首から肩胛骨の上のあたりの凝りはそう簡単に取れるものではないとのことでした。たしかに、これだけ仕事していれば目もそれくらい疲れるだろうと非常に納得のいく診断でした。妻は肩の凝りがとても楽になったと喜んでいました。
 ぶらぶらと歩いて家まで帰り、少し休憩してから再び外出。有楽町の無印良品がリニューアルオープンしたというので見に行ったのだけど、2ヶ月ほど前に一度来たことがあっただけだったので違いはよく分からなかったのだけど、ところどころ商品の配置換えがされているのには気付きました。少し買い物をしてからもんじゃを食べに月島に移動。家を出る前にネットで調べていた店にはなぜかたどり着くことが出来ず(ネットで見つけた地図と、実際の店の並びが何故か異なっていた)、流行っていそうな店の中から妻が選んだ店に入りました。味はまあそんなに悪くないけど、その味とその食材とその接客とと考えると料金は高いといわざるを得ません。ボクは1年前くらいに1度月島にもんじゃを食べに来たことがあったのですが、そのときは味もよくなかった。まあ東京に来たと言うことでもんじゃでもと思ったのですが、大阪人にはもんじゃはそもそも合わないのかも知れませんね。自分で家で作るお好み焼きが負ける気がしません、というと東京の人に怒られてしまいそうですが。

最近、最近、今週末

  • 投稿日:
  • by
  • カテゴリ:

 最近昼夜を問わずに仕事をしているのでこうして夜中に家で macbook に向かっていると気分転換にブログを書くことが出来て、それはまあ良いことだなあと屈折した思いを抱いてしまったりしています。

 最近 Nintendo DSゼルダの伝説をネット対戦するのが楽しいのですが、ふとテトリスマリオカートのネット対戦を久しぶりにしてみようと思って繋ごうとしたら繋がらない。ゼルダもレイトン教授もちゃんと繋がっているのでゲームによって繋がったり繋がらなかったりするのが解せないのですが、ネットでちょっと調べてみたら同じような記事に出くわしました。
 Nintendo DS を AirMac Extreme の TSN で使う方法 (Wonderful Miyashita’s House)
 ルーターも同じで(AirMac Extreme)セキュリティ設定も同じ(Transitional Security Network)なのですが、このエントリーでは無事つながったと書いてあります。ボクの場合はコメント欄のこのコメントと同じ症状のようです。ゼルダは繋がるけどマリオカートは繋がらない。ゲームによって繋がったり繋がらなかったりするんでしょうかね。ファイナルファンタジー3も繋がりました。ルーターのセキュリティをパスワードなしにしたらどのゲームでも繋がるのできっと AirMac Extreme の Transitional Security Network との相性に問題があるのでしょう。

 今週末、大阪から妻が上京する予定だったのですがボクの仕事の都合で中止となりました。来週末もボクの仕事の都合でダメなので妻との東京巡りは再来週に延期。まあ再来週は3連休なので良いかなと思って。その次の3連休はくるり野外ライブで京都に行くので楽しみです。大阪にも帰ることが出来るし。

tokyo sucks

 東京に出てきてすでに2ヶ月近くが経とうとしております。早いのか早くないのかわからないけど、東京に出てきた甲斐があったとは到底言えない生活を送っております。仕事ばかりしていて誰とも会っていないし、仕事ばかりしていて何か仕事以外のものを追求できていないし、仕事ばかりしているので仕事がこの上なく楽しくない。仕事をしに来たんじゃないのかと言われればまあそうですけどと答えることになると思うんだけど、とりあえずこんなはずじゃなかったんだと付け足したい気持ちでいっぱいです。
 唯一の楽しみは次の週末に大阪に帰れるかどうかに尽きるし、大阪に帰れない週末は体調を崩してひたすら寝続けているか、それとも半分は仕事して半分はひたすら寝続けているかのどちらかです。
 そんなわけで今のところ東京に出てきて楽しいことは何一つありません。期間を区切っているのでこのことは断言しておきます。今のところ何一つ楽しいことはありません。つまり、小説を読んだり Movable Type 4 を触ったりするのは東京じゃないと出来ないことではないのです。東京に来たおかげで経験できたのは、新幹線にすっかり乗り慣れたことや金沢と東京を結ぶ高速バスに乗れたことくらいですが、それらは副次的なものに過ぎない。
 といってもけして絶望的になっているわけでも自暴自棄になっているわけでも暴飲暴食しているわけでもありません。今は仕事が忙しくて仕方ないと思うようにしています。この先にはきっと何か思いも寄らないことが待っているのでしょう。あるいは時間が出来ればいろんなことをしてみよう、と思っています。

 しかしまあ、それにしても楽しくない。あまりに楽しくないので裏返ってちょっと楽しいくらいです。
 で、その要因はおそらく東京のマンションにテレビがないことと東京では大阪の地上波深夜番組が見られないことにあると思います。それもけっこうな比重で。毎晩寝る前にテレビに向かって突っ込めるかどうかというのは生粋の大阪人にとっては韓国人のとってのキムチやコアラにとってのユーカリの葉や豚汁にとってのピーマンくらい必須なのです(最後のは違うか)。
 それでもまあ、ええおとななのでのらりくらりとやり過ごしております。会社の近くの本屋でアーヴィングのピギー・スニードを救う話が文庫化されているのをたまたま見つけました。光文社の古典新訳文庫も気になっていて、カラマーゾフの兄弟なんかはもう一度読み直したいと思ってるんですがどうなんでしょうね。村上春樹が訳すとか訳さないとか言ってたような気がするけど。村上春樹といえばノルウェイの森をぬるめのお湯をはった浴槽に浸かりながら読んだりしています。でもあんまり真剣に読んでません。
 そんな風にしてボクは生きています。ピース。